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中編小説

赤水郷

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一、異邦人と紅い妓女 6

漲詠の街では三鳳楼に向かって、秦汪大路を境にした右半分を竜台、左半分を玄台といった。その由来は街の南にある撞山(どうざん)に登った旅人が平地に建てられた町並みを見下ろして、料理をのせる高杯に見えたことに起因する。
嘗て廷では王に献上する料理を、盤に左右二つ置いた高杯に盛り付けたという。それを守り神とされる神獣の名に掛けて右を竜台、左を玄台と呼んでいたのだが、いつしか旅人のおかげで街の名になったということだ。
実際、南大門門楼から三鳳楼に向かって街の周壁が丸い歪んだ曲線を描いて積まれているので、時が過ぎた今でも高杯の形を留めている。
 紅粉漂う遊里はその玄台の中央三通りを十町ほど占領して店が展開している。
高杯に例えるなら皿の中央やや左寄りといった場所にあり、紅い柱と紛壁(白壁)の楼閣が並び、客寄せの女童が客の衣にしがみ付く光景が見られる。悩ましげに石欄に凭れた妓女が道を行く男に秋波を送り、沈香、蘭、茉莉花など様々な匂いに誘われるように男達が笑いさざめく妓楼へ消えていく。
 その一角に『戯千房』と呼ばれる妓楼が建っていた。
八層のこの妓楼は高層の部類に入る造りをしているが、両隣の妓楼の隙間に無理やり建てたらしく、横幅が狭くていかにも窮屈な外観をしている。おまけに出来るだけ大きく見せたかったのか、軒を広くとっているために重い被り物をしているような不恰好さである。
遊里にある妓楼はどこも優美で均整の取れた構造をしているのに対し、この妓楼はあまりにも歪(いびつ)だった。
しかし、そこが物好きな客の目にとまり、数多くある妓楼の中で、『戯千房』を贔屓にする客も少なくない。この日も『戯千房』に意気揚々とやって来た客が裏から流れるように入り、喜色満面顔の客が絶えることなく表から帰っていく。
その様を欄干に凭れた青頴が最上階からこの上ない仏頂面で眺め、ついでに紅凛も睨めつけながら言った。
「なぜ、ここにつれて来た。見てのとおり金なぞないぞ」
裏路地で脇腹に触れてきた紅凛は、青頴が話しかけても一言も口を開かなくなった。だから、青頴もこれ以上共に行動するのは気が咎めるので、紅凛と離れ、何処かに消えようとした。
しかし、終始無言の紅凛が、身を翻した青頴の袖を捕らえ、強引に自身が働いているという『戯千房』の部屋へつれて来たのだ。
青頴の胸には女を守らなければという脅迫観念が杭で打たれたように揺れ動くことなく鎮座しているが、一方で女に関わることを恐れてもいる。
常日頃からなるべく関わり合いにならないように、唯一仲の良かった兄に誘われても悪所には頑として赴くことがなかったぐらいだ。それが、話すことさえ拒む妓女に連れられて遊里にいる。
振り払っても逃げることもできず、流されるままに連れて来られた自分が呪わしく、まるで紅凛を責めるように眉間に皴を寄せる。今の青頴の心は、薄まりかけていた後悔がぶり返し、自己嫌悪に陥っている状態だった。
そんな青頴の気持ちなぞ露知らず、紅凛は赤い敷物の上に腰を下ろすと、顔を袖で隠して腰を折った。微妙に肩が震えている。
「お金を期待しているわけではないわ。妓女なんてお客の懐具合を推して量るのが始めの仕事みたいなものだもの。その点、貴方じゃ女童に菓子さえ強請(ねだ)られることがないはずよ」
どうやら笑っているのだとわかったが、やっと口を開いたかと思えばあまりの言い様に青頴は渋面である。実際、安物の着物に血痕が付着して擦り切れているその風体では、言い返す言葉も何もあったものではないので始末が悪い。
「だから、貴方をここに迎えたのはもちろんお客としてではなく、恩人として持て成したかったからなのよ。それと、できることなら街を破壊できる武器を持ち、すぐに傷口が完治するような型破りの恩人と落ち着いて話をしたかったの。あんな所でゆっくり話せないし、事が事でしょう。誰かに聞かれるわけにはいかないわ」
青頴に近づいた紅凛はそっと着物の破れ目の中に手を伸ばし、傷があった場所に触れてくる。
重傷のはずの傷口には、鍛え抜かれた筋肉が盛り上がっているだけで傷どころか瘡蓋の一つもない。その異常さを気にすることなく、紅凛は身を摺り寄せてくる。
半臂から白い胸元が覗き、艶冶な女の肢体が目を釘付けにする。ピクリと震えた青頴は紅凛の手を力任せに押し戻した。

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