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中編小説

赤水郷

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二、異境の迷信 4

秦汪大路を三鳳楼に向かって二人は歩いていた。道行く人は髪や肌の色だけではなく、衣服はもちろん飛び交う言語も相容れない。しかし、青頴にとっては何より前を行く枯れ木のような興光の方が異質に見えた。
小男の姿は「この地に影を残しながらも、その軽やかな足取りで別の世界を散策しているのではないか」という埒もない空想を煽る。
それほど青頴の中で興光は得体の知れない存在と化していた。興光の意味ありげな発言は、この非現実的な事象について限りなく詳しいことを匂わせるものであり、なぜ今まで丹拷鬼に狙われることもなく、赤水郷に引きずられたわけでもなく、五体満足の状態で情報を有しているのかが不可解だった。もちろん、興光が嘘をついているという可能性もあるが、そんなことをする理由もなければ、何より嘘をついているようにも見えない。
青頴は前を行く小さな背に畏怖を感じ、知らぬ間に眉間に皴を刻んでいた。
大路の道端に植えられた槐(えんじゅ)が風に揺れ、深緑の葉が顔に掛かるのを避けた興光がふいに振り返り、その小柄な背に集中していた青頴の視線と交わった。
「何て怖い顔をしているんだい」
葉の重みで垂れ下がった槐の枝を青頴に当たらないように持ち上げながらも、興光は脂下がった顔を向ける。その表情から何を考えているのかは読めない。
しかし、興光には青頴の視線が睨んでいるように見えたのか、「おぉ怖い、怖い」と大袈裟に震え上がる素振りをしてみせる。
子供でも斯くの如き無邪気な目をして笑うまい。
青頴はうんざりしながらも、警戒を解いて埃っぽい空気を吸い込んだ。
「そうそう、その調子。今からそんな怖い顔では、あそこに言ったら身が持たないよ」
またもや仄めかしてはっきり言わない興光を睨(ね)めつける青頴だったが、興光には〈怖い顔〉と言われ、昨日も紅凛に〈酷い顔〉と指摘されたこともあって自重する。
 ふいに鼓笛の音が響き、大路の道端から大人一人分高い人々が何やら舞踏を披露しているのが見て取れた。その周りを群衆が囲み、賑わいでいる。緑や青の衣装に身を包んだ彼らは頭に漆黒の角をつけ、竹馬を足に縛りつけた出で立ちながらも飛んだり跳ねたりして観客の目を釘付けにしている。
それを観た興光は楽しそうに目を細めた。
「あぁ、大道芸人達だね。あれは滄竜王(そうりゅうおう)の舞といって、頭に乗せた二つの角は竜王の子供を表わしているんだ。この舞の基になった神話はこんな話だ。竜王が大空を駆けている際に、雷に打たれて角が折れる。折れた二つの角から竜王の子供が産まれ、右角の兄は海を、左角の弟は地を支配したそうだ。天空を支配する父である竜王は高見から人を見下ろし、人が悪さをすれば子供達を使って天災を起こす。この舞は人間の権力者である王族と竜王との駆け引きを表現しているんだよ。身の丈が高くて角を生やしているのが竜王で、地に足をつけて着飾っているのが人間だ」
足に竹馬をつけている芸人は手に扇を持って足元の人間達に風を起こし、後ろに控えている角を生やした芸人が器用に長い竹馬を使って人を飛び越え、地上にいる小さな人間達を威圧する。
どうやら竜王達が天災を起こして人間の悪さを咎めている場面のようだ。
「こういう似たような神話は董国にいると結構な確率で芝居や演舞で観たりするんだけど、この話の良いところは竜王達に絆があるところなんだ。他の竜神の話は兄弟殺しとか親殺しが起こったりするんだけど、これは悪い人間達が兄竜を騙して捕まえる最後の場面でも、弟竜と竜王が良い人間達と協力して兄竜を救い出すんだよ。そこの話の下りが砂糖菓子みたいに優しく記憶に残るもんだから、儂は好きだねぇ」
「峯徠でも竜神の話は川とか海の近くでよく伝わっていた。だが、俺は竜神の話はどれもあまり好きではない」
「ほぉ、それはなぜ?」
「強大な力を持った生物は迷惑だからだ」
そう言うと、興光は黄色い八重歯を見せて、密やかに笑った。
青頴の今の言葉は、迷惑だと言った生物と自分が関わっていることを暴露しているようなものだったが、当の本人は気付いておらず、無意識に吟慈刀に触れて物思いに耽っている。
青頴の母親は猛り狂う竜神を慰める巫女であり、その竜というのが吟慈刀に眠るあの銀竜だと伝えられている。董の滄竜王の舞に出てくる竜ではないが、母親のいた島付近の海域を支配する銀竜という話だ。母親は幼少の頃に他界したが、生前に聞いた神話では、吟慈刀に封印された竜は怒りの神だという。そのとおり、一度鞘から抜くとその破壊力は神がかっており、咄嗟に使ってしまうと圧倒的な猛威によって昨日の如き顛末を迎える。青頴にとって吟慈刀とは、母の形見という以前に、その危険性から捨てたくても捨てられない迷惑以外の何物でもなかった。
「迷惑といえば、なぜ赤水郷とやらが、今この街に現れたのだろうな?」
「今、漲永に現れる理由があるのだろうよ」
「迷信に出てくるようなものに、理由などあるものか?」
「さぁてね・・・・。でも、アンタはよく知っているんじゃないかい?化け物と呼ばれるものは、何かの拍子にポッと生まれてしまうのものだと」
土から生えた白い腕が脳裏に浮かび上がり、青頴は頭を振って脳に映った映像を消す。ふと視線を感じて興光を見ると、労わるような視線を送ってくる。
この時から、もしかしたらこの小男は本当に自分の心を覗き、あの出来事を知っているのではないかという漠然とした疑いが芽生えていた。

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