文字の大きさを変える
  • 大
  • 中
  • 小

中編小説

赤水郷

前のページへ  次のページへ

三、異界の夢 4

「これがアンタの罪の象徴かい?」
「・・・興光。なぜここに?」
青頴は重い瞼を開けると、気だるげに微笑んだ興光の顔がそこにあった。
赤一色だった母屋から、瞬きした一瞬で屋敷の屋外へと移動している。心なし肌寒く感じた青頴は腕を摩り、わけも分からず辺りを見渡した。
太陽は南中にあり、明らかに時刻は昼間。場所だけではなく、時間までも飛び越えているらしい。おまけに、足元には楊玉公主が意識を失っているようで、仰向けに倒れている。
「なぜ、公主が?兄上と、それに泰子様はどこにいったのだ?」
「さっき見たのは現実じゃない、勘違いしないことだ。アンタは赤水郷に落ちて気を失い、赤水郷の夢の中を彷徨っているのさ。そして、アンタを赤水郷に放り投げた公主も無意識に池に飛び込み、ここに来ることになった」
神妙に語る興光に視線を向け、背後の一点に視線が止まった。
青頴は震える唇を指で押さえつけ、棒のように突っ立って動けない。
「・・・これは本当に夢なのか?俺の力によって変異したこの眼前にある泰子様の腕が夢?」
「そうだよ、ただの夢ではないけどね。でも・・・夢で安心しただろう?」
青頴の視線の先には、奇妙に折れ曲がった腕が土から生えている。まだ、鼻が麻痺するほどの異臭は臭ってこないが、根元には確かに泰子の顔が剥き出しになっている。
先ほどの夢では回避できたが、この腕は取り乱した基近が、青頴に力を使うことを強要し、過去に逆らえなかった青頴が力の暴走で泰子を化け物に変化させた成れの果てである。
それは、まるで苗木のようだった。関節を無視して折れ曲がり、異様に伸びた指先は小枝の如き様相をしている。
結局泰子は死に、錯乱した基近が、木に見立てて腕が一本天に向かって伸びている状態で死体を埋めさせたのだ。
おかげで、基近は植物として泰子が生きていると勘違いしたのか、まるで本物の木のように日々成長して伸びる腕に、毎日水をやるようになった。夜には泰子が埋められた場所から子供の泣き声が聞えるようになり、半年経つと腐乱した死体を放置したような異臭を放つようになった。その腕は、もはや人間の腕ではなく、妖しの木と形容できるほど不気味な妖気を発し、家来達は古参の者を除いて逃げ出した。
青頴はというと、狂った基近によって幽閉され、どうすることもできなかった。
そんな中、残された基近の実母、富子が腹心に命じ、夜間に泰子の死体に火をかけたのが冬の某日。後に古参の家臣に聞いた話によれば、泰子の死体は緋色の烈火となって激しく燃え上がり、炭となって夜陰に紛れて消えたらしい。しかし、それを阻止しようとして果たすことができなかった兄は完全に正気を失い、富子達を切り殺し、青頴も追放が言い渡されることになった。
「アンタも人生の選択を間違えたね」
興光は身を屈め、白い腕を静かに眺めると、まるで自分のことのように疲れた声で言った。
心臓に悪いその言葉を受け、青頴は虚ろな目を興光に向ける。
臭いものには蓋とばかりに目を背けていた過去を振り返ることになり、青頴はまさに選択を間違えたことに気付き始めていた。
「ここはいったい何なのだ?ただの夢ではないと言ったが?」
「寝ているときに見るごく普通の夢は本人が作りだしたものだ。だけど、ここは多数の人間の魂が眠りにつくことで創られた夢の集合体。つまり、多数の夢が混じった世界といえばいいのかねぇ・・・。そして、この世界の入り口が洸源池で見た赤い水面、古来より『赤水郷』と呼ばれるものだ」
「夢の集合体?夢が集まるとは面妖な。・・・・先ほどの兄は過去とは違う言動だったが、これは夢だから生じたことだとでもいうのか?」
「あぁ、そうだよ。現実ではないからまやかし・・・つまり夢のようなもの。ただ、夢と言ってもね、過去と違う行動をとった兄上は、本人の挙動に近いものだといえるよ。何せアンタは赤水郷内部にいるが、生きて覚醒している状態だ。だから、アンタが創り出した夢ではないといえる。それならさっきの夢は誰の記憶に起因したものだったのかという問題が生じる。アンタ以外でさっきの出来事を知る人物だから、おそらく兄上が創り出した夢だと考えられるのさ。赤水郷は生きた人間から記憶を抜き出して、人に見せることはできないからね」
泰子の捻じ曲がって伸びた指先の向こうに見える空は、雲集が風にのって流れていた。秋になろうかという肌寒い風が頬を撫で、池の水もゆったり波状する。松の木には雀がとまり、小気味良い鳴き声が聞えてくる。
夢とは思えないほど、見聞きするものに現実味があった。
育った家の庭を静かに見つめていた青頴は沈思し、そして口を開く。
「これが兄上の見ている夢?さっきの夢では、兄上が俺と泰子様の関係を以前から疑っていたように感じたのだが、これはいったいどう説明するつもりだ?」
「ほぉ、そんなことがあったのかい」
青頴がばつが悪くなって、顔を背ける。下世話な好奇心ではなく、真実労わるような声音であったが、事情を少しでも知られたことに羞恥心を覚えた。いったいどこまで事情を知っているのか、少なくとも、先ほどの青頴と基近の様子をしかと見ていたわけではないらしい。
「ここで魂が眠りにつくと、夢を見始める。この夢は、取り込まれた人間の記憶が強く反映された夢だ。だから、以前は気付かなかったことが今になって見えてきたっていうのは、兄上の視点で夢が出来ているから、兄上の行動の一つ一つがアンタの目にとまり易かったためと考えられるね。そう・・・例えば、アンタと相手の目があったとする。実際、それはほんの一瞬だったとしても、夢の作り手である相手が長い間アンタを見ていたと錯覚していたら、この夢では過去以上に長い間、アンタと目が合っているという状況が発生する。つまり、相手の印象に残ったことが誇張されて映像化されるというべきかね。偶に、物がゆっくり落ちるという現象が見られるのも、この世界の特徴だ」
ふふっと、何が楽しいのか興光は笑う。

前のページへ  次のページへ

赤水郷トップへ

ページの先頭へ

Copyright (C) 2011 KAZUKI All Rights Reserved.
inserted by FC2 system