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中編小説

赤水郷

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三、異界の夢 6

「確かに兄上は女を買っていたし、入れ込んでいるという噂はあった。しかし、年頃の男が女を買うのは別段おかしいことではなかったし、何より、泰子様が妊娠する前には遊里に通うのを止めていたはず―――」
そこまで言って、青頴は口を噤んだ。何か引っ掛かるものがあったからだ。
遊女との間に子供ができても、遠山家がそれを認知することがない。つまり、家の当主というものは遊びが前提で遊里に通うものである。当然青頴も兄の悪所通いはただの遊びだろうと思っていた。しかし、基近の性格からいって、泰子が心変わりするほど放置してでも通っていた女と、簡単に手を切るものだろうか。もし、この推測があたっていれば、何かその女に会えなくなった事情があったのだろうか・・・・・?
――――女は死んだのか・・・・・?
―――もし、惚れた女も妻も子も失くし、どちらも中途半端にしか愛せなかった自分と、哀れな泰子様に手を差し伸べなかった俺が自分と重なったとしたら・・・・・
「・・・興光、お前はいったい何者だ?」
興光と充分に距離をとった青頴は生気のない顔で小柄な男を見下ろした。
小男の目は涙が凝固したような碧空の目で、瞬きをゆるゆると繰り返す。
刹那、中庭の池の水が日の光を集めたように一瞬光り、青頴の視線はそちらに逸れた。
「これは・・・・」
喉を鳴らして息を呑む。
池に倒影されたのは見知った女の顔だった。十にも満たないほど幼くなった顔を蒼白にし、雑踏の中、こちらを見上げている。胸の前で指を組み、声を上げようにも震えて下唇が微かに上下するだけで口が開かないようだ。
少女の周りには、寄声を上げ、囃し立てる野次馬で溢れかえっている。まるで蟻地獄に落ちた哀れな獲物の如き形相で少女は上方を見上げているが、それを取り巻く大衆は少女と同じ方向を仰ぎながらも歓喜しているようである。
身近に立っている覆面の男が役人らしい男に視線をやり、頷く。
覆面男がのっそりと巨大な斧を振り下ろすと、縄が分断され、シュルルッと金属が何かに擦れる音がした。すると・・・・突如、板張りの床が迫り、一瞬―――雲間から漏れる光が視界の隅に過ぎると、暗い地面が上下する。
わぁあああああぁぁぁあ・・・・・
怒号のような喝采が波のように辺りに波及し、膨れ上がる津波の如き声は、人間と建物にぶつかって霧散した。
「・・・かあさん」
呟くような少女の声が不自然に耳に届く。
断頭台の板目に沿って赤い血は滑り落ち、木屑や塵を含んだ床に、赤い水溜りが広がった。
「・・・・困ったね」
いつの間にか隣に立っていた興光が、橋の手摺に縋りついて呟く。硝子のような青い目に涙を溜め、静かに手で目を覆った。
池はただの水に戻り、異常に興奮した人々の映像は見る影もなくなったが、青頴の目には強張った少女の姿が強烈に残って消えそうにない。
その少女の顔は、幼い頃の紅凛のものだったからだ。

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