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中編小説

赤水郷

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三、異界の夢 7

「今のはおそらく断頭台に登った妻の記憶が投影されたものだ。儂がここにいることで、赤水郷が亡き妻の夢を池に映したんだろうね。まったく、嫌な所だ」
所在なく体を縮める小男を茫然と青頴は見下ろす。赤水郷の内部とはいえ、肉体があるせいで唇が乾いていく感触が妙に生々しい。
背筋の伸びた凛とした女が脳裏に浮かび、蒼い空を映す池に視線をやる。
小男も重心を欄干にのせ、顎で体を支えるようなだらしない姿勢でただの池を見つめている。
「あの子は儂の娘なんだ」
「娘・・・?」
「ドルシャを更に西に行った所に儂の祖国がある。アンタは異端狩りを知っているかい? 祖国の施政者は異端者を許さない潔癖(・・)な人物だった。だから障害のある者、社会に適合しない者を役人が処刑していった。そんな社会で、儂の力が災いした。ずっと力のことは隠してきたんだけど露見して、妻が儂を庇って自分の力だと言い張った。その結果、さっき見たとおり、妻が断頭台に登る羽目になっちまったのさ。儂は馬鹿だったから、妻が犠牲になった理由ともいえる悪徳役人への復讐を誓い、一人娘を田舎の親戚に預けて別れた」
「・・・それで、復讐はできたのか?」
「いんや・・・復讐を果たすも何も、刃を出す前に隣町で取り押さえられて島流しさ。それから何とか逃げ出してこの国に流れついたものの、娘とは会っていない。漲永に来たのも、ある役人の夢を覗いたときに、妓女紅凛の姿を見たからなんだよ。まさか、董に来て妓女になっていたとはねぇ・・・」
興光が普段と比べて十は老けて見えた。興光は、幼い紅凛よりも復讐を選び、娘が遊女の道を選んだと知った今、漸く過去と向かい合う気になったのだろう。おそらく、『戯千房』で再会したのも、本当は娘の様子を探るついでだったに相違ない。
「確か、漲永に来てから三日と言っていたな。それなのに、まだ会っていないのか?」
青頴が幾分声を和らげて問いかけると、興光は短い舌で唇をじんわり舐めた後、「そうだよ」と口篭り、触れて欲しくないという顔で首を横に振った。
「『何者だ』とアンタは訊いたね。儂は、遺恨に駆られて子を捨てた夢渡りだ。人の夢を覗く特殊能力があるが、人を救うことはできないただの人間さ」
「夢渡り・・・・?人の夢を覗く?」
「そう・・・・、眠りについた人間の夢に侵入し、人の心や過去を探ることができる。この赤水郷に詳しいのも、この力と関わりがあってね。死ぬ間際の人間の夢を覗くと、偶に赤水郷と繋がることがあるのさ。因みに気付いているだろうけど、アンタの夢も見た」
「『戯千房』で寝ていた時だな」
力ない興光に対し、青頴は自然と険のある声になった。興光の心中を思うと同情するが、だからといって勝手に人の夢を覗くのは別問題である。青頴は少しも、興光の特殊能力については疑うことをしなかった。薄々興光が常人とは違うことは気付いていたからであるが、会って間もない異国から来た青頴のことを知りすぎていたというのが、確信するに至った十分すぎる理由である。
「ご名答。でもそれより以前からアンタの夢は知っていた。但し、言っておくがその時は好きで覗いたんじゃない。それこそ勝手にアンタの夢が流れ込んできたのさ。よっぽど波長が合うんだね。でも、おかげでアンタの過去を知ることができた。だから、ちょいとばかり興味が湧いてあの湖に行ったんだ。儂と同じ『異端者』はどんな奴だろうとね」
影の落ちた渋面顔の興光を見て、怒気も失せた青頴は頭を手荒に掻きながら溜息をつく。
興光の小さな体がより一層小さくなって、路傍の小石より惨めな物体に見える。
「それで?死にたくて湖にいた異端者を見ての感想は?」
「・・・おかげで少し勇気が湧いた・・・かねぇ」
気持ちを振り切るように立ち上がった興光は口端を吊り上げて悪戯小僧のように笑い、いつもどおりの顔で笑っていた。その顔に影はあったが、もはや生気の残り滓といった程度の陰影である。あの湖にいた青頴を思い出してまた勇気が湧いたのだろう。
それを察して鼻で笑った青頴は興光を睨み、首根っこを容赦なく掴んで引き摺り、楊玉を小脇に抱えて反り橋をのっそり渡る。
ずりりと衣服を擦りきらせながら、腕を組んだ姿勢で身をまかせていた興光が、恨みがましく問う。
「アンタ、ここで死ぬつもりだったんじゃないのかい?」
「なに、死ぬのはいつでもできる。早く、赤水郷に目をつけられている娘のためにも、ここを抜けださなければな」
「まったく、お人好しなお方だ。ありがとよ」
青頴の言い聞かせるような声に、興光が嘆息しながらも礼を言う。ちらりと後ろを振り向くと、白い腕が天に向かって伸びている。
兄の夢の中だという遠山家の庭で、忌み嫌われた泰子の腕の上空を燕が飛翔し、邸の軒下へ帰巣した。

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