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中編小説

赤水郷

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四、彷徨える魂 4

「この時代、俺達はここにいないはずなのに、相手に俺達の存在は認識されているんだな」
「誰かの記憶に反映された世界ではあるけど、この夢は少し普通の夢とは違うみたいだよ」
木々が熱風を遮断しているのか、吐く息が白い。前方からは濃霧が迫ってきていた。
戦場の阿鼻叫喚は聞えなくなってきたが、途端に気温が下がり、寂静とした様が気味悪い。兵士に存在が見つかった以上、姿を隠す霧は願ってもない助けであるはずであるが、青頴は本能的に嫌な予感察知し、鳥肌がたっていた。
「きゃあぁぁぁぁ」
進行方向から女の絶叫が響き渡った。それも一人ではない、複数である。
真竹の葉音がさぁぁぁと揺れて、女の金切り声と不協和音を響かせる。
馬の嘶き声と馬蹄の地を蹴る音、そして男達の恫喝する声が聞えてくる。
花木が少なくなり、竹林をすり抜けた青頴達は笹の葉の隙間からその光景を見た。
「・・・・惨い」
咄嗟に青頴は楊玉の目を手で覆う。
霧で視界が悪い。しかし、女達の死骸は確認できた。馬上の兵士が走って逃げようとする一人の女に、背後から槍で串刺しにする。
鮮血を火花のように散らせながら、女は衣を靡かせ凍土に崩れる。白目を剥いた女が痙攣し、先に事切れていた女の上に被さった。女達は茨のように絡み合いながら、絶命している。
「どうやら奴ら、誰かを探しているようだね」
女達を殺した後、馬上から降りた兵士が槍で死んだ女を仰向けにし、顔を確認し始めた。女達は醜く歪んだ顔ながら、その白い顔と衣服から、宮女であることは確かである。
「城を董軍に包囲され、隠し通路から逃げようとしたところ、敵兵に見つかった廷の宮女達――――というところか・・・・」
「洸源池は町の外に出る大河と繋がっている。他にも隠し通路はあるみたいだけど、漲永の街が董軍に占拠されている今、一気に川を下って脱出するのが確実だと考えたんだろう。但し、予想以上に董軍が城内に進入するのが早かったというのが彼女らの誤算だろう。兵士達が探しているのは、おそらく廷の王族だろうかね」
「なるほど・・・・しかし、驚くほどに、興光は城内に詳しいな」
興光はうっすら笑う。話すつもりは毛頭ないと言いたいのであろう。
そして、「どうするね」と目で問うてくる。むろん、青頴は次の行動を決めていた。
「軍人ではなく、宮女をこれほど複数近くについていたとなると、奴らが探している人物は后妃かその姫だろうな。それなら、たとえ夢でも女は見捨てられない」
「そう言うと思ったよ」
呆れ混じりに興光は溜息をつく。幸い、青頴達の姿にまだ相手は気付いていない。
兵士の一人が洸源池の水際に新しい蹄の跡を見つめたらしく、何人か水上の楼閣よりもさらに奥の竹林に姿を消した。残ったのは四人の兵士である。
青頴は楊玉に後ろを向いて待っているように指示を出すと、興光と目が合い、頷いた。
足音を殺して近づき、一番手近にいた兵士を興光が手刀で昏倒させると、青頴が馬上の兵士を殴って落馬させ、馬を奪ったついでに馬の後ろ足でその兵を蹴り飛ばす。興光が気を利かせて兵士の所持していた槍を青頴に投げ与え、異変に気付いた残り二人の兵士は青頴が馬を駆って、槍で突き飛ばした。丹拷鬼に比べると実に手ごたえのない相手である。
馬に蹴られた兵士が立ち上がり、剣を振りかぶってきたが、二合と打ち合わない内に兵士が力負けし、柄で青頴に殴られて今度こそ起き上がってこなかった。
「お見事!」
「興光も・・・な」
兵士達が女達の血に染まり、骸のように転がっている。
苦々しげに兵士達を見下ろしていると、小さな足音がして、馬首を右に向ける。すると、楊玉が無表情に女達の死骸を見下ろしているところであった。
「公主、見ない方が良い」
「気遣い無用じゃ。妾は初めて人の死を見る。死ねば、こうなるのか」
少女の言葉とは到底思えぬ、老成した物言いで、青頴は思わず生唾を飲み込んだ。
楊玉は裾を血で汚れぬように器用に持ち上げて屈み、女の骸をしげしげと眺めている。青頴は物問いたげに興光を見下ろすと、「天子の子だねぇ」と何やら感じ入っている様子。青頴は思わず頭を抱えたくなった。
「戦とは惨いの。父上が戦をしたがらない理由がわかる。なぁ、興光」
「いや、まったくその通り」
調子にのってうんうん頷く興光であったが、楊玉の次の言葉で凍りつく。
「興光、お主は父上を直接知っておるな。察するに・・・『影』か?」
「こ、公主様・・・・・」
見るからに動揺した興光は口を半開きにして物も言えない様子である。まさか幼い公主に言い当てられるとは夢にも思わなかったに違いない。
青頴は『天子の影』なる者が何者かは知らないが、おそらく天子直属の密偵であろうと見当をつけた。今ここにいるのは天子の密命とは無関係であろうが、青頴のような一般人にはけして知られてはいけない素性であることは間違いない。
――――祖国での迫害が、興光を権力の近くで働かせる道を示したか・・・・・。
哀れみを含んだ目で興光を見つめると、向こうも控えめに青頴の様子を窺っている。
「何だ?興光。尻を矢で射抜かれたみたいな悲惨な顔だな」
「いやぁ・・・・ねぇ」
「しまった、聞えない。耳垢が詰まっているようだ」
青頴は耳に指をつっこむ小芝居をしてやると、興光は複雑そうに口を引き結ぶ。そして、青頴に向きなおると、合掌礼をし、謝意をみせた。それを見た楊玉は、袖で顔を隠し、悪戯小娘といった風貌で笑む。
「それにしても、公主様はよくおわかりになりましたね」
「妾はまだ子供であるが、天子の子じゃ、平穏という言葉は我が生には直結せんじゃろう」
冷めた双眸で衣を翻し、楊玉は重台履が血で汚れるのも構わずに歩き出した。
「公主様、老婆心ながら申し上げるが、あまり儂らのことは口外しないようにお願いしたい。そうでないと、天子様がお困りになる」
「わかっておる。そう言う其方こそ、天子が多少困れども、別に気にはしないじゃろうに」
「いやぁ・・・まったくその通り」
楊玉に性根を見事に見透かされた興光は、さすがに顔を引きつらせて下手な笑みで誤魔化している。否定しないのが、興光らしい。
その後、青頴から白眼視された興光は、不貞腐れたように口を窄める。
「適わんな」
青頴が言ってやると、興光も疲れたように首肯し、額の汗を拭った。
「さて、さっき竹林に消えた兵を追うのだろ?」
「もちろんだ」
青頴は楊玉の隣に馬を走らせると、楊玉を馬上に引き上げて自身の前に座らせる。興光は女達の死体に手を合わせると、青頴達の後を追った。

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