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中編小説

赤水郷

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五、迂回活路 2

「遅かったな」
背後には、服を濡らしてくしゃみをする興光の姿があった。少し目を離した瞬間に、既に連后の幽鬼は姿を消している。
「公主様も言っていたけど、蓮妃は行方不明として処理された。蓮妃の遺体は戦争の事後処理で忙しい董軍によって回収されることなく、井戸に放置されてしまったんだね。ここからは推測なんだけど、供養もされなかった哀れな蓮妃の魂は縁者の陽玉様がここに来たことで、己の眠る場所を伝えるべく、ここに現れたと思うんだよ。そして、蓮妃を取り込んでいた赤水郷も彼女の意思に引き摺られた・・・・。いや、正確には当時戦で亡くなった廷の人間達の魂がそれを後押ししたのかもしれないけれど・・・。青頴殿は、なぜ赤水郷で取り込まれた魂が丹拷鬼となり、生きている人間の魂を狩るのかわかるかい?」
興光の問いに、青頴は首を傾げる。確かに、言われてみれば、なぜ丹拷鬼は人を襲い、赤水郷は人を取り込むのだろう?考えてもいなかったために、青頴は唸りながら思考に没頭する。
―――これほどまでに、寂しさとは厄介なんだねぇ
すると、いつだったか興光が呟いた言葉を思い出していた。
「・・・・後悔・・・寂しさ?」
言いよどむ青頴の答えに、満足したように興光は息を吐く。
「そう・・・。取り込まれた死者は思い残したことを後悔しながら赤水郷の中で夢を見続けるしかない。死んで魂になってしまっている以上、夢を見ることしかできないからだ。そして、後悔ばかりが募っていき、次第に生きている人間が憎くなる。終(しま)いに、丹拷鬼になって赤水郷に人間を引き摺り込もうとするのさ。でもね、そうした魂が人間を呼び込む理由は憎しみだけではなく、変化を求める本能があるからではないかと儂は思っている。死んだ人間はもう何も他に働きかけることができない。例え丹拷鬼になっても、社会が受け入れてくれるわけではないからね。だから、苦しむ自分を助けてほしくて変化を求める。この根底にあるのは寂しさだ」
「寂しさの中で身動きできずに留まっているというのか?それなら、取り込まれた兄上も?」
「相手が死んでしまっている以上、儂らにできることは何もないんだよ。だから、それは考えないようにしよう。儂も考えたくない」
自分と同じように蒼白の興光を見て・・・興光の妻が断頭台にいる夢を思い出して、青頴は俯いた。それでも、後悔の言葉は途切れてはくれなかった。
「俺は・・・俺は苦しんでいる兄上に何もできなかったんだな」
「もうやめようと言っているんだよ。今となっては終わったことなんだ。儂らにできることは生きて償うことさ」
語尾を窄めた興光は青頴に背を向けた。興光も考えたくないことなのだろう。
青頴は己で肩を抱いた。絶望が肩や頭に圧し掛かって体が重い。力という力が一瞬に消え失せてしまったかのようだ。
ドサッと後方で音がして、ずっと黙っていた楊玉が尻餅をつく音が後ろからした。
背に悪寒が走った青頴は、楊玉の視線の先を辿る。
静かに漣をたてていた赤水郷が突然、垂直に光を伸ばした。
ドバァァァァ・・・
瞬間、赤水郷が膨れ上がり、水底で爆発でもしたかのように飛散する。近くにいた興光はずぶ濡れになりながら呆けたように空を見上げ、青頴も気鬱が消し飛んでいた。
「どうやら赤水郷で儂らを追いかけていた丹拷鬼が、ついてきてしまったようだね」
いつもの笑みも消え失せ、興光の頬が引きつった。
赤水郷の中から現われたのは、丹拷鬼の大群である。上空を浮く者や、地面に這いつくばる者など様々だが、あの白目は全てに共通らしい。精気のない白面の丹拷鬼達の群れは、人間の軍隊のように活気がない分、気味悪さと相俟って恐怖を喚起させる。ましてや、百は優に超える。幼い楊玉に至っては言葉も発せず、青頴の帯にしがみ付いて膝から力が完全に抜けてしまっている。
青頴は宥めるように楊玉の髪を撫で、化け物の襲来に拳を握る。
「興光、丹拷鬼を倒す手立てはあるのか?この数では、俺達二人で戦っても限界があるぞ」
「いやぁ・・・・」
言葉に詰まって、誤魔化し笑いを浮かべる興光に青頴は冷眼視を向ける。
「つまり、正攻法で戦うしかないんだな」
「・・・・まっ、そうなるね」
今度は真面目ぶった顔で興光は首肯し、拳を振ってきた丹拷鬼を引きつけ逆手にとると、池に投げ入れた。青頴も楊玉に離れるように指示すると、二体同時に強襲してきた丹拷鬼に其々拳を突き入れる。
会話をする時間さえ与えて貰えそうにない。
青頴は花々を踏み散らかし、向かってくる丹拷鬼に眩暈を覚えた。今度は逃げることはできない。街に丹拷鬼が徘徊するようにでもなれば、間違いなく人々は抵抗もできずに魂を狩られてしまうだろう。
青頴は吟慈刀を鞘に入れたまま、襲ってくる丹拷鬼の急所を捉えてそこに鞘の鐺(こじり)を捻り入れ、或いは叩きつけて数を減らしていく。丹拷鬼には其々能力の差があるらしく、農夫のように獲物を使い慣れてない者もいれば驚くほど腕の立つ者がいる。それを瞬時に見分け、多勢を相手に攻撃に転じ、或いは一体になるまで引きつけてから相手をする必要がある。
左右から挟み込むように距離をつめて来た二体を、一体は足蹴りをあたえ、一体は鞘で殴りつけた。それと同時に上空から小刀が落ちてくるのを、転がるように避ける。
休む暇なく今度は左から飢えた獣のように突進してくる強力な丹拷鬼を視認し、他の丹拷鬼を振り払って距離をとる。突進してきた丹拷鬼と一対一になると、素早く体を反転させ、すれ違い様に上空へ一転して相手の肩に着地すると、首を両手で挟んで顔面を地に叩きつけた。
一方、興光は方天戟を持つ丹拷鬼に苦戦していた。切る・叩く・突きの三段攻撃を流動的に繰り出してくる丹拷鬼を興光は紙一重で交わしているが、反撃する隙が見つからない。さらに、相手の脚力は化け物とあって想像を絶するものがあり、一撃目をかわしてもニ撃目は目で追うことが難しく、三撃目では必ず小さな傷が増えていく。防御一辺倒になった興光は疲労で体が鈍り、目前に迫る鋒鋩(ほうぼう)に体を仰け反らせて仰向けに倒れることでしか回避できない状況に追い込まれていた。
それを横目で確認した青頴は、足元に刺さっていた小刀を抜き取り、興光を襲う丹拷鬼に向けて得物を放つ。
小刀を投げられた丹拷鬼は興光への攻撃を止め、方天戟でそれを払い落とす。 その隙を興光は見逃さず、地に両手を着いて跳ね上がると、足で丹拷鬼の獲物を握る手を挟み、体を捻って相手を横に飛ばした。その反動で立ち上がった興光は、丹拷鬼の利き手を足で踏みつけ地面に磔にし、もう片方の足で頭を蹴りつけて首の骨を砕く。
「助かったよ」
興光は続いて襲ってきた丹拷鬼の顔面に回し蹴りを入れながら、数体の丹拷鬼を相手する青頴に礼を言う。
青頴はというと、息が上がって口を聞くのがすでに苦しい状況に追い込まれている。
「青頴、妾のことは気にするな」
「そうはいかない」
「阿呆!」
楊玉を守りながら戦うのは一人で戦うよりも神経を使う。丹拷鬼の中には弓を使う者もいる。それに気をつけながら、楊玉を誘導し、さらに自分の身を守るには骨が折れた。
しかし、女を見捨てる選択肢は青頴にはない。
楊玉に向けて放たれた何本目かの矢を鞘で叩き落とすと、青頴は丹拷鬼の注意を自分に向ける。派手に立ち回り、一体ずつ確実に仕留めていく。
陽玉は涙目になりながらも、何とか足を引っ張らないでおこうと、青頴の指示をよく聞いている。しかし、このままでは確実に青頴達はむろんのこと、漲永の住人を助けることはできない。今も、多数の丹拷鬼が青頴達に目もくれず街の方向にしずしずと行進を始めていた。

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