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中編小説

赤水郷

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五、迂回活路 3

―――何か、何かこの途方もない数の丹拷鬼を一瞬で消す方法はないか。
青頴はその答えを知っていたが、近くにあるはずのその答えから脇道するように目を背けて活路を見出そうとした。しかし、その答え以外には答えらしいものは、青頴の脳に存在しなかった。
丹拷鬼と息つく暇なく攻防を繰り返していると、さすがに疲れてきたために隙が生じた。敏捷な丹拷鬼の剣戟を弾いた瞬間、後方から細い棒状の硬鞭(こうべん)が青頴の膝を襲う。
足が奇妙な方向に曲がった青頴は立つことができず、地に尻をついた。
それを目撃した楊玉が悲鳴を上げる。
囲まれた青頴に数本の槍の穂先が頭上から下ろされようとしていた。
青頴は力を込めた手で、折れた膝を力任せに元に戻す。ギュキィという何ともいえない骨が軋む音がしたが、気にしている暇もない。
―――間に合うか!
治療した足で体勢を立て直し、槍を鞘で受けるべく構えようとするが、僅かに丹拷鬼の方が速かった。
地に体が沈んだ。それに続いて、他も同じように前のめりに倒れていく・・・。
「誰だ・・・・?」
・・・・絶命したのは丹拷鬼の方だった。
青頴は倒れてくる丹拷鬼を受け止める羽目になり、丹拷鬼の粘着質の黄色い体液が容赦なく顔に降りかかる。状況の掴めない青頴は、悪態をつきながら顔についた汁を袖で拭い、丹拷鬼の背に刺さった矢を引き抜いた。加勢してくれそうなのは興光しかいないが、平時は矍鑠(かくしゃく)とした小男も、さすがに膨大な数を相手に疲労の色も濃く、青頴を助ける余裕は見当たらない。
―――しかし、そうなると、いったい助けてくれたのは誰だ?
青頴は矢の飛んできた方向に目を向けた。
・・・・が、楊玉が短く叫ぶ声を聞いて、そちらに注意が逸れる。
「いかん、丹拷鬼が町に下りていく!!」
外城壁近くの上空で、飛行する丹拷鬼が黒く空を染めながら町へ向けて移動しているのが見て取れた。天災が起こった際に動物が逃げ出す様に似て、その蠢く集団は人を狩るという本能に忠実なだけに狂気的なまでに速い。
丹拷鬼の集まった黒い点が、町に雨でも降らせるように急降下を始める。
「どうする?このままじゃ追いつけないよ」
焦った興光が青頴を仰ぐ。あの数の丹拷鬼が街に徘徊すれば、間違いなく一日も経たずに全滅するだろう。
青頴の手は吟慈刀の柄を掴んでいた。この龍を封じ込めたという刀なら丹拷鬼を止められるかもしれないことは始めからわかっている。しかし、どうしても、白刃を振るうことが躊躇われて鞘から抜くことができなかった。抜き身のこの刀を振るって、後悔しなかったことは一度もない。
・・・しかし、丹拷鬼を町に出さないためにはこれしか方法がない。
興光は青頴を勇気づけるように頷く。
吟慈刀が僅かに震えたように感じた。まるで、早く抜けと刀が催促しているようだ。
青頴のその後の決断は早かった。
「公主を連れて俺の背後に隠れていろ」
そう言い放ち、吟慈刀を鞘から引き抜く。
―――獣の咆哮が空に響き渡った。
すでに銀竜が刀に巻きついて、大口を開けている。鞘を引き抜いた瞬間に龍が具現化されていることは今だ嘗てない。青頴は無意識に柄を握りなおした。
興光が動いたのを確認する。不安を振り切るように大きく刀を振るった。
―――空が、紙切れのように千切れた。
いや、空に一直線の亀裂が走ったといえばいいのだろうか。町に向かっている上空の丹拷鬼のいく手を阻むように一筋の銀光が走る。曇天に走った線が紙のように容易く捲れ、空の一部に闇色の無が現われると、そこに丹拷鬼が風に飛ぶ塵のように吸い込まれていく。
「ひやぁぁ、凄まじいね・・・」
場違いなほど、陽気に興光が呟く。今にも小躍りでも始めそうな声色だ。
上空の丹拷鬼が空の切れ目に消えると、今度はその切れ目から雷が空を駆けるように走りぬけ、暗雲を凶悪な電流で満たしたとき、地上の丹拷鬼に向かって雷の雨が降り注いだ。直撃を受けた丹拷鬼は黒く焼け爛れて焦げた肉塊となり、それが美しかった庭に散乱していく。
ボトボトと肉片が落ちる中、目を瞑っていた楊玉が落雷の轟音にびくりと体を震わせた。青頴達は刀の結界で被害を受けることはないが、目前で大量の雷が落ちる様は見て気持ち良いものではない。死体を焼く臭いに、青頴は鼻を袖で覆う。
風が強まり、氷柱のように白い気流が地上に下りてくると、それは巨大な竜巻となり、雷で焦げた大地を竜巻が蹂躙していく。雷で全滅した丹拷鬼の死体を消し去るように竜巻が巻き上げ、三鳳楼という歴史的な建造物を粉砕していく。
少し前に楼閣が火に呑み込まれて崩壊した姿は目にしたが、一瞬で風の柱に触れて粉砕される様子は、こちらの方が夢ではないかと目を疑うほどである。
「これはいけないね、何とかならないのかい?」
さすがの興光にも、青頴がなぜ鞘を抜くのをあれほど渋っていたのか気付き始めていた。怒鳴るような興光の切迫した声を聞きながら、青頴はそれに答える余裕どころか、答えすら持ち合わせていなかった。
全ての丹拷鬼が異空間に吸い込まれ、黒こげにされた今、脅威は吟慈刀の力に摩り替わっている。
そんなとき、背後にいる興光が身じろぎする気配がし、反射的に振り向いた青頴の前を、紅い衣が翻る。
「な、何者じゃ!?」
陽玉が声をあげて、青頴の腰に抱きつく。
その紅い影は、止める間もなく興光の腹に細身の刀を捻り入れた。
「―――うっ」
呻く興光がその衣を引き寄せ、踏ん張りの利かない体が空に舞い上がった。洸源池の赤水郷が竜巻に吸い上げられるのと同時に、興光も枯葉が舞うが如く飲み込まれていく。
「興光っ!!」
伸ばした手が空を掴んだ青頴は絶叫する。
青頴は抜き身の吟慈刀を鞘に収めようと試みたが、小粒の牙を見せ付け咆哮する銀竜がつっかえてすぐに鞘に収まらない。しばらくして銀竜に腕を噛まれるのも構わず、無理やり頭を刀身に押さえつけて鞘に収めると、銀竜も刀とともに鞘の中に吸い込まれていった。

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