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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第一章 奇妙な日常

四、

女官師と見習いの子供を見送って、馬車を下働きに任せたヒースらは城の正面入り口に足を向けた。

「近いうちに良くないことが起こる」

「貴方がそう言うなら、そうなんでしょうな」

大聖堂の裏側に回り込み、しばし歩いて今度は曲線を描くスロープを上る。中途半端な時間帯のためか、登城する人間はほとんどいない。ヒースとルルドは肩を並べて、やや急ぎ足で先を急いでいた。

「当初の予定よりも早いエイリアからの帰還命令。加えていうなら、さっそくレグレットと遭遇したことを考えると、あの魂の成れの果て達―――レグレットはやはり増加していると考えるべきだろう。とにかく気になることが多いな」

長旅の疲れと先の暗い見通しにヒースは暗然とする。

「気になる事といえば、ずっと憑いてきてましたね。女の子が」

ルルドはもういないとは分かりつつも、辺りに気を配る。偶に法衣や長衣を着た人間が通り過ぎて行くだけで、もうあの小さな影はいなくなっている。

「悪いレグレットじゃないから心配ないと思うが、憑かれてるヴァッツ本人が気づいてないのは官師見習いとしてどうなんだろうな?」

影に潜んでヴァッツを見守る栗色の髪の少女をヒースは思い出す。ヴァッツが思い悩んでいる時は、本当に悲しそうな表情を浮かべていた。少年と縁があるのだろうが、当の少年には彼女の記憶も消滅させられているだろうから知らせはしなかった。

だが、ヒースには蟠り(わだかま)が残った。

「ペントラルゴは表面的にはいい国です。・・・しかし、死人を忘れるように記憶を消すのは今でも気色悪いし、納得できないもんです」

黒髪黒目のルルドは、遥か遠くの東国から剣術の腕を磨くためにやって来た人間である。剣を強く聖創力で鍛えることができると聞きつけて、腕も良かったからはずみで聖騎士になった。それから何年か経つ今でも、この政策には釈然としないものを感じているらしい。

「同感だ。だが、記憶を消されている人間はおかしいとは自覚していない。むしろ、有難がっているじゃないかな。消される寸前に恐怖を感じても、消された後は覚えていないわけだからな。あまつさえ苦悩から開放されたと女神の教えによって刷り込まれるわけだ。まったく苛立たしいことだ・・・なぁ?」

「他国からの来訪者でさえ、この国のこの政策を聖なる施しだと思っている者が多数ですしね。まぁ、疑問を抱いてる人間はいないことはないでしょうが・・・」

「そうかもしれないが、あまりにこの国の印象が良すぎるのが問題だろう。飢餓に苦しむ国への援助から、弱小国への資金援助。聖創力という神の力に、聖騎士という強力な守護兵。豊穣な国土。レグレットのことを差っ引いてもおつりがくる。しかも、支障が起こっても大抵のことならうちの暗部が隠蔽するからな」

スロープを登りきり、今度は横にも縦にも長い磨かれた階段を上る。ヒースは正面から城に入ったことを失敗したと内心舌打ちする。じんわり汗が額に滲んだ。しかし、誰が足を止めてやるものかと気合が入りもするから、陰鬱な気分を紛らわせるには丁度良かった。

「その援助資金がどこから出てるとか、他国の政治に介入してるとか疑わないんですかね」

「疑ったとしても、記憶を消すか暗殺して、残った証拠を消せばいい。実に、きれいさっぱり何も残らない」

「ははぁ、なるほど」

ルルドは呆れたように鼻で笑った。目は鋭さを増して、陽気な雰囲気が途端に冷気を帯びる。

「しかし、どうも腑に落ちないな。いちいち人の記憶を消すなんて面倒な政策を、なんで始めたんだか・・・。人の記憶を消すなんて物騒な想師を封師みたく個人の生業にできないのはわかるが、国が想師の給金を払う金だけでも馬鹿にならないというのにな」

国家機関の一つである官師が、国を離れて個人業になって分裂したんのが封師だった。その分裂する契機となったのが国庫の問題だったという。

「お前の言うとおり気味の悪い政策だよ」

「正常政策とはよくいったもんです。俺にしてみれば「全く異常政策」とでも名づけたいんですけどね」

親しい人間が死んで悲しみ、レグレットになって悩む。そんな不運に見舞われた記憶を消して、正常に戻すことから人々は正常政策と呼ぶようになっていた。国の一つの大きな政策であるはずだが、その実、正式に政策名が決められていない。ヒースに言わせれば「何より国家に秘密めいたところがあるのだと証明しているようなもんだ」と言う根拠となっているらしい。

  重厚で繊細な意匠をこらした扉を、歩哨に立っていた兵が丁重に開けてくれる。二人は城内に入ると口を噤んだ。前にルルドが東国流に、「魑魅魍魎の巣」だと城内を表現したが、その意味を聞いてヒースは適当だと自嘲気味に笑ったものだった。そんな生まれ育った城の変わらない寂静とした様が、帰還したヒースには異様に感じこそすれ、安堵とはほど遠いものだったのは言うまでもない。

向かいに現れたずんぐりした老人と、目立たない位置に佇む見覚えのある男を見て、嫌な予感が当たるだろうことを確信する。ヒースの記憶が正しければ、老人はボーゼスという大司教の位でありながら汚職を働く悪人で、影に立つ男はそのボーゼスに復讐を誓う暗部である。

「さっそく何か起こらなければいいが・・・」

呟いたヒースにルルドは怪訝な顔を向けた。

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