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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第三章 必然的な不運

二、

 

 クムジェンの屋敷から帰ってきて数日後の今日は、サレーヌは固より、コルチェの集団葬儀が行われる日だった。

葬儀といっても月に二回ほどしか行われないため、予め死体が腐らないうちに火葬されている。そのため儀式の内容は、遺族が大聖堂に集まり、聖職者の説教を聴いて祈りを捧げるだけだった。そうではあるが、記憶のない縁者の葬儀を自家であげることを嫌がる国民が続出したために行われた公共サービスであることを考えると、『行わないよりは断然良い』事業の一つといえた。

なにせ、国民にしてみれば、見知らぬ相手のために金を使うのは嫌だが、だからといって死体を放置するのも体裁が悪いという心理が働いている。一方、教会側にしてみれば、説法を国民に聴かせる機会を作ることに意義があるというものだ。 

 

 ヴァッツはあれから胸の痞(つか)えが消えなくて、朝からあった官師見習いの演習を抜け出して大聖堂に足を運んでいた。

大聖堂の大小の尖塔が空高く伸び、トレーサリーのついた塔が太陽の光を浴びて輝いている。他の建物よりも高く聳えるそれは、ルイースフェル教の象徴的存在であることを強調するような壮麗さである。

ヴァッツはその壮観を仰ぎながら、湖に架かった淡黄褐色の橋を渡って、象牙で作られたその聖堂の内部に足を踏み入れる。緻密な聖水盤の覆いはヴァッツの身長の軽く三倍はあり、その向こうに扁平な扉が人を吸い込むように開いていた。

人ごみに流されるように潜ると、そこもまた別世界だ。

束ね柱は頭上高く、カスプや四葉飾が飾られている。また、天井から釣り下がった金細工のシャンデリアが幾つも浮かんで、左右の窓から入る採光にあたって煌きを放つ。

 きょろきょろ見回していたヴァッツは陶然と見とれながら、内部の人によって押されて進んでいく。

扉から一番遠い高窓には巨大なステンドグラスが嵌っており、その下の説教壇の後ろに立つ法衣が目に入った。

「ヴァッツ殿ではありませんか?」

空いている席はないかと忙しなく首を動かしていると、こちらに向かって軽く手を振る人物がいた。

「クムジェンさん、それにえっと・・・」

「ラッセルです」

ラッセルの隣の席が一つ空いていたので、ヴァッツは主従二人に軽く頭を下げて腰を下ろした。

ヴァッツが使用人の男の名を知ったのは、記憶を失くしたクムジェンが男を呼んだ時だった。それまでは名前を呼ばれているのを聞いたことがない。ヴァッツ自身、名前がすぐに出てこなかったことに得心がいったが、気分が沈んだ。

「ヴァッツ様とこんな所でまた会うとは思いませんでした」

穏やかな表情で、ラッセルに話しかけられては戸惑いもする。サレーヌが死んだ後の、鬼気迫るほどの彼はどこにいったのだろう。

「ちょっと、気になって」

「・・・もしや奥様のために?」

ヴァッツは曖昧に頷いた。

「アンタは何のために来たんだよ?」と相手に反問したい衝動を堪えて、膝の上で拳を作る。

 誰とも知れぬ聖職者が、女神の有難みを熱弁し始めたが聴く気にもなれない。大勢の遺族がいるが、追悼というより信仰を深めているだけのようで居た堪れなくなった。

 「すみません。俺、用事があったのを思い出したので帰ります」

主従二人に断りを入れると、逃げるように抜け出した。

 

 ヴァッツは、聖堂近くの湖にふらりと立ち寄った。

湖に映る沈んだ顔を覗き込んで「ガッツだ、ヴァッツ」と気合を入れてみるがそら悲しい。

ふと誰かに見られているような気配がして振り返ると、若い女が紙にペンを走らせて何か描いている。たまに建物を描きに、売れない絵描きが出没する。彼女もそうだろうとヴァッツは見当を付け、興味が惹かれて女の後ろに回ってスケッチを覗いた。

それは、稲光と暗雲棚引く空を背景に、大聖堂が細かい線で描かれている。かなり、おどろおどろしい絵である。

「聖なる象徴の建造物が、悪魔の城みたいだね・・・・わかるよ」

思わず呟いたヴァッツに、絵描きの女はペンをとめ、無邪気な微笑を浮かべた。

「聖なる象徴だからといって、皆が一様に燦々と輝く聖堂を描く必要ないものね。むしろ、違う見方をすることが『個性』であり『芸術』に通ずるのよ。少年は絵描きの才能があるわ」

絵描きの言を受け、ヴァッツは不思議なくらい安堵する気持ちとなった。褒められたことに対してではない。ルイースフェル教を考えなしに受け入れる集団葬儀の参列者には、この絵描きの言葉を使うことはできないだろうと思ったからだ。

ヴァッツは興味が湧いて、もう一度その絵を覗き込んだ。やはり、暗い聖堂がヴァッツを威圧する。しかし、それ以上に気になるものが描かれており、ヴァッツは目を擦った。

「ん?・・・あっあれ?お姉さん、この子いつどこで見たの?」

「ついさっき、ここより南東にある官舎近くよ。大方ガーゴイルの顔に驚いて逃げたんじゃないかしら」

「そう、教えてくれてありがとう!」

そう言うやいなや、言われた場所に向かってヴァッツは走り出した。

絵に描かれていたのは、悪ガキ三人組の一人、丸目だった。

絵の中の丸目が、恐怖で顔が醜く歪んでいた。絵描きの女は別段奇妙だと思ってないようだが、何回も城に来ている丸目が、ガーゴイルの像ぐらいでこれほど驚くとは考えにくい。

妙な胸騒ぎがして、日頃自分に嫌がらせをしてくる相手だったが探してみようと思いついた。

青空の端から、黒い雲が押し寄せてくるのが見えて、ヴァッツは全力で走った。

 ペントラルゴの城の敷地は一つの町のように広い。しかも丸目は走って移動していたらしいので追いつけるかどうかわからない。ただ、いつも東にある建物で官師見習いは教育を受けるため、わりと行動範囲が決まってくる。頭の中で、その建物から南東の官舎を線で繋いでだいたいの場所に予想をつけた。

 

 丸目を見つけたのは、線で繋いだ中心地点にある、左右対称をなした堅牢な建物の中庭だった。正確には、中庭に接する廊下の円柱の影で蹲っていたのを発見したのだ。

早く見つかったことにほっと息をつこうとしたが、ヴァッツは息を止めて硬直した。

丸目の腹を押さえた指先には、血がこびりついている。明らかに誰かによって、つけられた傷だ。

想像以上に酷い丸目の様子にヴァッツは息を呑む。

「どうしたんだよ。その傷、レグレットか?」

駆け寄って問いかけてみても返事がない。だが、微かに首を横に振る。

「しゃべるの、きついか?」

歯がカチカチ鳴って震えているので、背中をさすってやりながら再度問いかけると、今度はゆっくり首が縦に振られた。

「ヴァ、ヴァッツ・・・お、俺、どうしたらいいんだ。こ、殺されるよ」

「なっ!?殺される?だ、誰にだよ」

レグレットに襲われたのかと勝手に思い込んでヴァッツは丸目を探していた。しかし、思いもよらない言葉に動揺する。

「わ、わからない。今日の授業が終わって、帰ろうとしていたら突然襲われた」

「どんな奴?」

「・・・顔は白いフードを被っていたからしっかり見てない。でも、身のこなしが半端じゃなかった。何とか反撃して逃げたけど、普通じゃねぇよ、アイツ。俺をまだ探してる」

そう言い切ると、力が抜けたようにカクリと首が垂れ下がった。

「お、おい、しっかりしろよ!」

怪我人であることを恐怖で忘れ、丸目の頬を何回も引っ叩いた。

すると、生気のない目が、瞼にひっぱられてちょっと持ち上がる。

「こんな所にいても、いつか見つかる。移動しよう!立てるな?」

そう言って有無も言わせず、丸目を引っ立てて肩を貸して歩きだした。丸目はもう立つ力も残ってないらしく、ヴァッツの力では到底早くは歩けない。

(どうしよう・・・このままじゃあ、正門に着くまでに日が暮れる。・・・だけど、このままここに居たら、コイツ死にそうだ)

一瞬見捨てて逃げようかと思った。正直いけ好かない相手だし、何より丸目が死ぬようなことになったら見捨てた自分の記憶も消える。罪悪感も何も残らない。

(でも・・・それって、かっこわりぃな。最悪だ)

そんなことを考える罪悪感と恐怖が胸の中でせめぎ合って、ヴァッツの目に涙が滲む。

 涙は流すまいと数歩先を必死に睨んで足を動かしていると、反射的に何かを感じて振り返る・・・と同時に思い衝撃を受けた。

恐々背後を見ると、丸目の背中に小剣が刺さっている。

さらに丸目の重みが増えて、ヴァッツは二人して倒れこんだ。

這い蹲って視線を上げると、白い外套の殺気だった小柄な人影が近づいて来る。風景に溶け込むようなゆっくりした足取りだが、身に纏う空気はヴァッツが体験したことのない殺気である。

「おい、またビビってるのか?」

もう終わりだと思った矢先、後方から聞き覚えのある声がした。

声の主はトスティンである。

ヴァッツらを白い影から守るような立ち位置で足を止める。

「・・・トスティン?どうして」

「立て」

緊張と混乱で喘ぐように問いかけたヴァッツは、トスティンを見上げて硬直した。片目しかない琥珀の目は野獣のようだったからだ。トスティンは、白い人影が放った小剣を腕を振って払い落とす。両腕に葉飾りの彫刻された銀手甲を嵌めており、指先からは鍵爪をつけていた。

必死で丸目を担いで立ち上がると、目の前にトスティンの鋭い爪が額に押し付けられた。

「ここから人ごみを通って正門にいるピトロを頼れ。他に近づいてくる奴は信用するな」

一方的な命令口調にヴァッツはカッとなる。そして(落ち着け〜俺)と自分に言い聞かして、自分を宥めた。

「逃げろって言うのかよ。アイツ、危ないよ。人殺しだ、きっと」

「アイツは暗部だ、普通じゃないのは当たり前。俺の心配より、その『死にかけ坊や』の心配をしろ」

「死にかけ坊や」といわれた丸目の意識はすでになかった。言っていることがさっぱり解らなかったヴァッツだが、どうやら事情を知っているらしいトスティンを信用して、逃げることを優先することに決めた。

相手がレグレットでもないなら、自分は足手まといになることは必然的である。

「さっさと行け!!」

急かされるように怒鳴りつけられて、悔しくて、恐くて仕方がなかったが、丸目を担いで走った。

 ヴァッツが逃げようとすると、それまで微動だにしなかった白い人影が数本の小剣を投げて、それを阻もうとする。

・・・が、トスティンが全てはじき落とした。

「お前、ボーゼスに飼われてる暗部だろ」

白い人影は無言のまま、トスティンの懐に飛び込むように駆け出した。

「ふん、口封じってやつかよ」

トスティンはそれを向かい受けた。

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