「おや、大雨でもきそうですね。ヴァッツは今どこにいるんでしょう」 空が曇り始めて、稲光が雲を明滅させている。突風が吹いたので、一緒にいたアシアを庇うようにして、ピトロは風上に立った。 「確か、今日は傘を持っていないはず・・・」 「ふふっ、心配性ね。あなたの推測どおりなら、もうすぐ集団葬儀が終わってここを通るわよ」 ピトロがアシアに会いにやって来たのだが、空模様が気になって、ヴァッツを大広場で待ってくれないかとピトロが提案したのだ。普段真面目に官師になるべく最後まで授業に出ているヴァッツが、今日はなぜが途中で抜けてどこかに行ってしまった。その事をアシアも少し気にかかっていたために、ヴァッツを待つのはアシアも大賛成だった。 しかし、ピトロにその不安を述べたところ、ヴァッツは集団葬儀を見に行ったのだろうと看破した。もちろん、実際に大聖堂に様子を見に行ったわけではないが、ピトロは妙に自身ありげにヴァッツの居場所を言い切ったのだ。それほど弟子の行動を知り尽くしているピトロが、傘を忘れたことぐらいで心配しているのが、アシアの笑いを誘っている。 「降って来たね」 雨粒がピトロの鼻の頭で撥ねた。地面にポツポツ丸い模様が描かれ始めている。 大広場の長いすに二人は腰掛ける。頭上に屋根はあるが、風が強くなればそれも意味をなさなくなるだろう。 「場所を移しましょうか?」 「大丈夫。それに、ほら。集団葬儀が終わったみたいよ」 城に用がある聖職者や官師ではない団体が、正門にむけて押し寄せてくるのが視界に映った。 「・・・・鬼って、こんな顔かしら」 ピトロの横顔を盗み見ていたアシアが静かに呟く。 「鬼?なんですか?それ」 「なんかね、東国では怖い化け物を『鬼』と呼ぶみたい。それを教えてくれた知人に久しぶりに会ったんだけど、今のあなたの顔を見てちょっと思い出した」 「・・・落ち込みますね」 「そうね。・・・でも、私はあなたにそんな顔をしてほしくないの」 集団葬儀の参列者を見るピトロの表情は厳しく、いつも穏やかなピトロとは似ても似つかないものだった。アシアは、ピトロがなぜそれほど怖い顔をするのか解っていたからこそ咎めた。一方のピトロも、アシアが容赦のない言葉の裏で、何を本当に言いたいのか察している。 「私が・・・・」 アシアがそこで一端言葉を切る。 ピトロはアシアが皆まで言う前に、すでに瞳を伏せていた。 「・・・・私が死んでも人間でいてほしい」 ヴァッツがいたのなら、いつしかの夜明けを待つように立っていたピトロの風貌と重なって見えたことだろう。哀しげな双眸で、アシアの言葉にふぅっと笑う。 「・・・嫌ですね、そんな言い方して。忘れてしまったら鬼にすらなれませんよ。それどころか、私もあの愚者の一派と同じように、集団葬儀に列席するかもしれない」 「ピトロ・・・このままじゃ、救われないわ」 血の気のひいたアシアの顔を見て・・・目を見て、自暴自棄になったピトロは「馬車を呼んできます」といって身を翻した。 ・・・・・・・・・自分を救うのは自分自身でしかない。 ピトロが鬼のような顔をする原因が自分にあるために、なおさらアシアが助けになることもできず、それを痛感した。 ―――一 一年前、アシアは病を患って、医者に死を宣告された。それまでのアシアの人生は恵まれたものだった。家庭にも恵まれ、才能も秀で、良い恋人とも巡り会った。これからも、その幸せが続いていくものと思っていた。しかし、余命が二年もないと告知され、その当たり前が夢の存在へとすり替わった。 そして・・・・・絶望した。 それはそうだ。『絶望』とは希望が絶たれることだ。人は誰しもいつか死ぬと分かっていても、未来という希望が横たわっている。しかし、アシアにはそれがない。 未来が・・・希望が・・・断絶されたのだ。 アシアは憔悴した。しかし、それを知ったピトロの方が、死ぬ本人より様子がおかしくなった。アシアが亡くなるという事実はむろんのこと、封師であっても親しい関係であるアシアの記憶は消される。ピトロはそれを何より怖がったのだ。 今のアシアは、何としてでも、愛すべき恋人には自分の死を乗り越えて欲しいと思っている。例え自分の存在がピトロの中から消えても、彼の心が救われるのならば、それで良かった。 |