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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第三章 必然的な不運

八、

 

 相手の手に数本の小剣が握られているのを見て、素早く跳ね上がり駆け出したヴァッツは、自慢の俊敏さで全て紙一重で避けきる。後方に高く飛んだヴァッツは、管つきの子供が眠る寝台に身を潜ませて様子を窺おうとするが、寝台近くに小剣が刺さった瞬間、その爆発的な威力にそれは粉砕し、吹き飛んだ。

「なっ!!」

「大事な実験体をこれ以上廃棄したくない。大人しく捕まれ」

「あんたが吹っ飛ばしてるんだろ!嫌ならそっちがやめろよ・・・うっ―――」

管が外れて流失した血が口に入り、咳き込んでいると、頭上から何かが降ってきた。手にはずっしり重い、首から上のおそらく青年だろう生首が収まっている。首筋にあるルスフェルの刺青が生々しい。

ヴァッツは、「わっ」と叫んで近くにそれを置いた。

「・・・あんた達、聖創力の研究でもしているのか?見たことのある顔が幾つもある・・・」

ヴァッツは直感的にその生首を見て、ここで何が行われているのかがわかってしまった。寝台に横たわっている若者達は、聖創力を有する聖職者・官師・封師の若手である。彼らの共通点は聖創力の恩恵を受けている体であり、若者が多いのは記憶が消せない官師や聖騎士といった知人が少ないためであり、拉致のやり易さからだと考えられた。

ヴァッツが知った顔であるのも当然だった。そのどれもが城内で何回が見かけたことがある顔なのだから・・・・。

「・・・なかなか賢いではないか」

「・・・・丸目・・・攫った子供はまだ官師見習いだったはずだ。見習いは聖創力をまだ与えられていないのに、なぜ攫ったりした?」

「・・・他の者を拉致しているところを目撃されたからな。本人は気付かなかったようだが、実験に使えなくても子供はその筋では高値で売れる。それで攫う理由には充分だ。お前もこの者達のように惨い殺され方をされたくなかったら、冊子について正直に話してはどうだ?」

白フードは喉でこもった笑い声をたてながら歩みを進めてくる。近づいてくる靴音が響いて、心臓の音と重なった。

「・・・アンタ最悪だ。命ある人間を何だと思っているんだ!」

数本同時に飛ばされる小剣が、ヴァッツがいた床をくり貫いた。だが、ヴァッツはそれより早く、天井にぶら下がっているランプに掴まり、反動をつけることで瞬時に女の懐に入り、蹴りを入れる。相当勢いがついていたらしく、女は吹っ飛び床に崩れ落ちる。それを目端で確認すると、ヴァッツは階段の手摺りを滑って降り、ボーゼスらが出て行った扉に飛びついた。

取っ手の部分が僅かに傾くだけで開かない。

「愚かな。大人しく話せばいいものを」

瞬時に白フードの掌から大多数の小剣が放たれる。その数およそ数十本。避ける隙間もない。

(避けられない!!!)

今度こそ死ぬと思ったヴァッツは、両手を突き出して身構えた。尖った幾つもの先端がヴァッツを焦点に飛来する。

(もうだめだ!!!)

目をぎゅっと瞑ったとき―――軽い音がして、それが続く。

ヴァッツはゆっくり薄目を開けると、白フードは血管が切れて充血するほどに目を見開いていた。

小さな足元に落ちた小剣が、山を床に築く。何らかの作用によって小剣が落とされたらしかった。ヴァッツは奇跡的に無傷である。

「すっげぇ〜」

ヒースが手で炎を消したことがあったが、おそらく同じ原理だと賢く悟ったヴァッツはこんな状況だが自分の手を眺めて驚喜する。他方、女は凶器じみた眼光の鋭さが増す。

「何者だ。官師見習いではなかったのか?」

「そうさ。でもどういうワケがこんな力があるみたいだけど」

「ふざけおって。どこの家の者だ?」

(知らないっての。知ってても教える義理なんてないし)

逃げることが不可能なら、もう白フードを倒すしかない。ヴァッツの頭の切り替えは速かった。

跳ねるように身を翻して、白フードとの距離を計算する。

(いける)

白フードは油断なく、階段を上がってくるのを見越して凶器を投げてくる。ヴァッツは一投目に投げられた小剣と交錯するように、事前に拾っていた小剣を投げつける。ヴァッツの投げた獲物が、白フードの女の放った得物に隠されて、女に気づかれないうちに至近距離まで近づく。その間、ヴァッツは手摺りから跳躍して二階に上がり、さらに距離をつめる。

「なに!?」

白フードはヴァッツの投げた小剣を既(すんで)のところで避け、二投目に数本の小剣を放つ。明確に獲物を投げる速度が増している。空を裂いて飛来するそれは、落ちた先にある物を、壁でも人肉でも粉砕する。

しかし、ヴァッツはその小剣の群に突っ込んで、手を翳す。聖創力がもし使えなければ顔どころか上半身が吹っ飛ぶところだが、鈍い衝撃だけですんだ。

「小癪な小僧め」

白フードはヴァッツが近距離に来たことで、小剣を握り、そのまま切り込んできた。まるで自身ごと刃になったような鋭い身のこなしに、ヴァッツは体勢を崩して前屈みに倒れた。

・・・かに見えたが、足先で床を強く蹴り上げる。

「子供だからってなめるな!」

強く蹴り上げたことにより、床の血溜りが撥ね、白フードの顔に降り掛かる。

 ヴァッツの跳び膝蹴りが白フードの肩、蹴りが腹に命中したのはそれからすぐだった。視界が利かなくなった白フードは避けられず、血の池に沈み、打ち所が悪かったのか、意識を失った。

「力に頼りすぎるのがいい事ばかりではないんだ」

ヴァッツは誰とはなしに呟いた。白いフードが紅に染まり、血だまりに沈む女を見て、ヴァッツはやるせなくなって目を伏せた。

―――すると、様子を見計らっていたようで部屋の片隅から靴音が近づいてきた。

「かっこいいじゃねぇか」

崩れた壁、濃厚な血臭、粉塵の中から一つの瞳が光った。

飛び跳ねるように脈打つ鼓動を持て余して、その姿が現れるのを待つ。

すると、大袈裟なくらい強く拍手をし、にやけ顔のトスティンがヴァッツを見下ろしていた。血生臭いばかりでなく、白フードの怪力で吹き飛んだ器具が散乱するなか、身軽に飛び越え間近に舞い降りる。

いつもいい場面で現われる奴だと、ヴァッツは内心呆れた。

「いつからいたの?」

「ヴァッツが聖創力を使ったあたりからいた」

死にそうになっていたにも関わらず、助けもせずに傍観していた相手が疎ましく、自然と声も低くなる。しかし、近くで見るトスティンの表情は背を引っ掻くような強烈な悪寒を走らせるものだった。思いつめたような内に篭った光が眼光に宿り、一方で笑みを浮かべる口元は殺風景なその場に似合わない。表面的には笑っているようだが、その目は恐ろしいほど剣呑な光を湛えている。

(何か怒ってる・・・・・)

気付けば少年は、訝しげにトスティンを見上げていた。

「なんだ。怒ったか?それは、そうだよな。でも俺はお前なら勝てると思ったから何もしなかったんだぜ」

飄々と言う。黙ったままのヴァッツを怒ったからだと解釈したトスティンは、声こそ陽気だが、ヴァッツには白フードより恐ろしかった。

「お前に大口叩いて、ピトロ達がどこへ連れ去られたか検討がついていると言ったが、結局見つけたのはお前の方が早かったらしい」

「見つけたというか、捕まっただけだよ」

不貞腐れて否定する。

ただ捕まって、ここに連れてこられた。しかし、それは成り行きでそうなっただけで、ヴァッツ自身がここを突き止めたとは言えないし、ましてや褒められることでもない。

「でも、お前がこの女に勝ったことは褒めてもいいんじゃないのか?」

「・・・・ただ必死だっただけだよ」

「それでいいのさ」

トスティンの鋭利な眼光がその時ばかりは丸みを帯びた。その顔は、確かにその場に似つかわしくないが、心から安堵できるものだった。

「さぁ、ピトロ達はこの下の扉を抜けて、左に曲がった突き当たりにいる。牢の鍵はもう渡してあるし、一緒に逃げるといい。俺はこの上の階の子供を助けるから」

「わかった」

ヴァッツの心に黒い靄がかかった不安があったが、判然とせず部屋を出た。そして、数歩進んだ後振り返る。

別段変わった物音もせず、血の臭いもない。ただ壁面に備えつけられた蝋燭に灯る淡い火が、ゆったり揺れているだけだ。

しかし、今、出てきた扉は開こうとはしなかった・・・・  

 

 ヴァッツが出ていった後、持っていた鍵で扉を閉めたトスティンは、赤色に染まったフードを足で蹴って女の顔を露(あらわ)にした。

「やぁ、起きたか?」

「見れば・・・わかるだろ」

女は虚勢を張った震える声音で答えた。

「恐いか?」

「・・・・」

「リディアンを覚えてるだろ?」

白い顔が青い血が通ったように変色した。

「やはり、お前はあの時の・・・・。なぜ、お前は生きている?確かに私は・・・」

「俺達の住居を爆破した?」

「・・・そうだ」

素早く状態を起こして立ち上がろうとした女の鎖骨が音をたてた。

トスティンは、白フードの肩を踏んだ足に、重心をゆっくり乗せる。

女が悲鳴を上げた。

「俺は生き返った。だから、彼女の思いを叶えるぞ」

「哀れな。妻や子を亡くして辛いなら、記憶を消して生き直せば楽なものを」

「幸い俺の子供は生きているから、記憶を消して生き直すなんて選択肢はなかったのさ。それに・・・人の心は、同じ立場に立たなきゃ理解できない。そして、お前達は幸せのまま、さらに人を踏みつけて幸せになろうとしている。そんなお前には記憶を消されたくないと思う人間の気持ちなど、到底理解できないことだろうよ」

今度はゆっくり腕を踏みつけた。白フードの顔に恐怖が現れた。

「私達が幸せだと?望む力を持てなかった私がか!?」

「あぁそうさ。俺からみれば、お前は隣の芝ばかり気にしている聖創力に依存しすぎた馬鹿娘さ」

トスティンはゆっくり懐から長い針を取り出した。  

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