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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第四章 理不尽な真実

二、

 

 頑丈なはずの石煉瓦の壁が粉砕され、巨大で凶暴な尖った鉄の先頭が現れた。それがうなり声をあげて回転し、壁に穴を開けてしまったらしい。粉塵塗れになりながら現れたその鉄のボディは、立方体の体の中に、驚くべき人物を乗せていた。

「やぁ、ヴァッツ。元気そうで良かった」

赤鼻を広げて笑っている顔が、穴から差し込まれた光に照らし出された。発明馬鹿と噂されるが、ヴァッツにとっては心強い存在の博士だ。

「少し反れてたら、元気ではいられなかったんだけど」

嬉しいのだが、素直に喜べない登場をした博士に多少非難がましくなるのは否めない。

「すまん、すまん。でも、わしの計算どおりだったんじゃよ。ちょうど、ヴァッツの隣に風穴を開けるつもりだったんじゃからな」

「・・・心臓に悪いよ」

「はっはっは、それは念頭になかったからのう」

と言って肩を竦めてみせた。そんな朗らかな博士のおかげで、ヴァッツはなんとなく救われた気分になる。

「おう、アシアさん。大丈夫かね」

アシアに気づいた博士は、「機械」と日頃呼んでいるそれから降りて、アシアに駆け寄った。問われたアシアは目を伏せることで答えている。

「ところで博士・・・トスティンってむかつくオヤジを知ってるんだろ?だから、ここに来れたんだよね」

「おや、いつも質問ばかりのヴァッツが成長したのう」

博士は感心したように頷いた。しかし、感心を買うようなことではなく、ヴァッツは用心しただけだった。なにせ、ピトロやアシアが深刻な状況にあっているのを知っているのは、トスティンとボーゼス達しかいない。その場合、まだトスティンによって知らされたと考えた方が精神の衛生上良かっただけである。身内のような博士を疑かったのは気が引けたが、いろんなことがあって多少用心深くなるのは当然だった。

「そうじゃ。トスティンとは弟をとおしての知り合いでの。トスティンが一昨日訪ねてきて、助力を頼まれていたんじゃよ。『きっと、ヴァッツが困っていると思うから力になってやってくれ』とな」

トスティンにはヴァッツの行動パターンなどお見通しだったというわけだ。トスティンと博士が知り合いだったことより、そっちの方がよほど心臓に悪い。苛々してきたヴァッツはそのことを頭の隅によけ、「博士の弟」という単語に興味が惹かれる。

「博士には弟がいるんだね」

博士には自分と同じように本当の家族がいないと勝手に思い込んでいた。そして、妙に仲間意識のようなものがあっただけに、寂しかった。同時に、博士が丸目達に絡まれた時、家族の記憶のないことが良いなどと、強がって言っていた自分がひどく恥ずかしく思える。

(もし俺に弟がいたら、そりゃあ両親の記憶がなくても、記憶がなかった方が良かったなんて思わなかっただろうな)

「弟は聖職者での、今はエイリア国の教会で司教をしている。因みにトスティンを紹介してきたのはこの弟じゃ」

「ヒース司教に会った時、エイリア国から手紙を送ってくる人がいるって言ってたけど、それって・・・」

「結構まめな奴で、頻繁に送ってきてくれるんじゃよ」

ヴァッツは納得した。世情には疎そうな博士だが、ヒースのことについては詳しそうだった。ヒースの力についても、弟をとおして知っていたのだろう。

「いいな、博士は」

自然と口からそんな言葉が漏れていた。

「博士。俺、ちょっと前に、家族の記憶がないことは、なんとも思わないって言ったでしょう?でも今は淋しいとか思わないけど、悔しいとは思うよ。記憶がなくて良い事もあるけど、罪悪感とか、淋しささえ感じさせなくするなんて変だ。思い出そうとすることさえ無意味なんて悔しいよ」

「そうじゃな・・・」

ちょっと癖のあるヴァッツの髪を撫でながら、博士が頷く。

「・・・悪い奴に殺されて、死んだことも忘れられてしまうなんて、やっぱり変だ」

この言葉は、捕まった子供達を思って言った言葉だ。

「・・・好きな人のことを忘れてしまうのだって変だ。ひどいよ」

サレーヌを忘れたクムジェン主従を思った。そして、ピトロとアシアを・・・。

「ヴァッツ。お前の父親は生きておるぞ」

「博士、またとんでもない発明品を作ったなぁ」

「どういうこと?」と問おうとした矢先に、あっけらかんとした声が乱入してきた。

「穴掘るには最適そうだけど、如何せん山がほとんどないペントラルゴでは、荒唐無稽な物体としか捉えられないだろうなぁ」

言わずと知れたトスティンだ。気配もなく、よくこれほど近づけたものだと博士は内心驚嘆する。

「何、このとおり役にたったじゃないか。この人物お尋ね時計と一緒に使ったら便利じゃし」

全然似合ってない桃色の丸い腕時計が博士の手首にくっついていた。子供が持つような可愛いそれは、ベルトがないというのに、腕にくっついている。

(だから俺の居場所がわかったのか・・・。それにしても、博士の発明って本当に見た目悪いよな・・・)

壁を壊した凶悪ともいえる機械といい、時計といい、博士の美的センスのなさに同情する。トスティンも同じような感想をもったらしく、気の毒そうな顔を博士に向けた後、僅かに唇を噛んでアシアを抱き起こした。

「すまない。もっと早く助けられたら、こんなに弱ることはなかったかもしれないのに」

「本当に遅いよ。心当たりはあるみたいなこと言ってたくせに」

薬を盛られて置き去りにされたことの怒りと、アシアの衰弱ぶりにまた辛くなって、ヴァッツの言葉にびっしり棘が生えた。

「ボーゼス達に嘘の情報を掴まされたんだ。あいかわらず悪知恵の働く狸だぜ」

腹から唸るその様子は、飢えた狼みたいだった。そのトスティンの袖をひっぱりアシアは何か伝えようとする。

「あいつ・・・行ったんだな。諦めきれず」

トスティンは頷いてみせ、全て悟ったように理解する。

「行ったってどこに?」

トスティンは少し黙った後に、ぼそっと「ヒース司教・・・いや、ボーゼスの所」と答え、軽々とアシアを抱き上げて博士の乗っていた機械に運び込む。

「助かるの?アシアも、丸目も」

今度は丸目の体を運び入れ、次に泣き叫んでいた子供の首に当身をいれると同じように運んだ。

「坊主は実験体にでも使うつもりだったのか、手当がされている。おそらく大丈夫だろう。もし万一助からなくても、その時はヒース司教に必死になって頼んだら、まぁ・・・どうにかなるかもな。アシアはもし何かあっても・・・」

一旦口を止め、それから「助けてくれない」と、端的に答えた。

「どうして?なんでだよ!」

「あの人は、老死と病死の死者を蘇らしたことがない。両者とも、生き返らせてもすぐ死ぬからな」

「そんな!じゃあ、なんで師匠はアシアを置いて行ったんだよ」

「あいつも記憶を失いたくないのさ。じっとしていられないって感じなんだろうな。おそらくあのピトロのことだから正常政策がなぜ行われたのか気づいてる。正常政策をどうにかするにはボーゼスを叩くしかないことも・・・な。もし、ピトロがボーゼスの居場所を突き止めていたら・・・間違いなく厄介なことになるだろう。ヒース司教がそこにいることがまだ救いだな、こりゃあ」

(もし、もしも、アシアが死ぬようなことになったら死に目に会えないのに・・・)

あの優しい師がアシアを置いて傍を離れたことに、ヴァッツはどうしても信じられなかった。

「ヴァッツ、私が言って欲しいと言ったのよ」

ヴァッツの心を見透かして、アシアが苦しそうに言う。

「でも!!」

「正常政策がなくなることしか、もう希望が残されていないのよ。私達には・・・」

「・・・・」

トスティンは最後にヴァッツを抱き上げた。

「それなら師匠はきっと突き止めてるよ、ボーゼスの居場所。だって、師匠は優秀な人だから」

トスティンによって機械に乗せられる手前で足を振り上げ、トスティンの胸板を軽く蹴ると腕から逃れた。そして一定の距離をとる。

(今の師匠なら、必ずどんな手を使っても探し当てるはずだ)

「ヴァッツ。何をするんじゃ」

博士が声を張り上げた。しかし、蹴られたトスティンは深く、温かいとさえ思わせる眼差しでヴァッツを見ている。

「トスティンが探していた冊子を取り戻すからさ。あんたは師匠を追ってよ。心配なんだ、師匠がさ。・・・俺より速く追いつけるでしょ?」

「へ、やっぱり持ってやがったか」

「トスティンがさっさとあの冊子を持ち出さなかったから悪いんだ。あそこにあれがあるって始めからわかっていたからこそ、あの書斎に来ていた、そうでしょう?」

トスティンがクムジェンの書斎に現れたのは、閉じ込められたヴァッツを助けてくれるためだと始めは思い込んでいた。だが、目的はあの冊子だったのだと今では確信している。

「まぁな、でも途中で気が変わったんだ」

「どういうこと?」

トスティンは首を振った。記憶のないヴァッツに、あの冊子が唯一の母親の遺品だということを話しても仕方がなかった。あんなのでも、一度でいいから見せてやるのもいいかもしれないと思ったのも、トスティンの親心かもしれない。

「じゃあ、せいぜいあの冊子を探してくれ。ピトロは心配するな」

いい加減に聴こえるが、この上なく信頼できるものだった。本当は自分で追いかけたかった。だが、足はトスティンの方が速いに違いない。

「博士も早くアシアを病院に連れて行って」

「強情な子じゃ。・・・まだ敵が潜んでいるかもしれん、気をつけてな」

「わかったよ」

ヴァッツの身を案じる博士は離れがたそうにしていたが、巨大な機械に乗り込んだ。

「これを持っていけ。見つけたら追いかけるのだろう?」

と、去り際に博士は自身の腕につけていた『人物お尋ね時計』を渡してくれた。

 

 

「・・・それで、冊子の心当たりってある?」

威勢よく言ったものの、実際ヴァッツには冊子の在り処が全くわからない。博士の姿が見えなくなった後、一縷の望みをかけて少女に問うと、少女はヴァッツの目の前に現れ、笑顔でこくりと頷いた。

「あぁ、よかった。もし、君が知らなかったらどうしようかと思ってた」

本当にほっとしたヴァッツは、胸を撫で下ろす。少女もそれを笑顔で見守り、そして、暗く淀んだ廊下の先を指差した。

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