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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第四章 理不尽な真実

三、

 

 ヒースとルルドは同時にため息をついた。

二人がいるのは、第五地区にあるボーゼスの別邸前。眼前の邸は第一地区の建物のように立派な造りではあるが、錆びれているので周りの景色とひどく馴染んでいた。

しかし・・・邸の周辺に漂うじっとりと絡み付く空気を察してか、通りがかる人間は誰もいない。この邸はボーゼスの依頼を受けると、相手が指定してきた場所である。ヒース達はボーゼスの依頼を承諾した手前、警戒しながらも赴いたのはいいが、案の定想像を絶する光景が目の前で広がっていたというわけである。

 ヒースとルルドは異様な邸を唖然としながら観察し、呆れたように互いの顔を覗き込んだ。

「レグレットって集会を開いたりする習性なんてありましたっけ?」

邸を上から下まで囲むようにレグレットが密集している。どれもひどい恨みを抱えて凶暴化したもので、猛り狂うどころか発狂していた。

邸を囲むレグレット達は意識がボーゼス以外に向いていないため、通行人に被害は出ていないようではあるが、その邸にもレグレットが侵入してないところをみると、入れないように何か邸の周りに細工がしてあると見える。しかし、第五地区とはいえ、ペントラルゴの首都にこのような場所があるという事実は、二人を呆れさせるのには充分だった。

「集会ねぇ・・・・。冗談が冗談に聞こえないな。本能的にレグレットが群がっているようだけど・・・」

「レグレットを呼ぶ、甘い蜜でもあるんですかね?あの邸・・・」

「あのボーゼスのいる場所に、よく『甘い蜜』だなんて表現ができるな」

「考えられないからこその、一縷の希望をふまえた想像ですよ」

「気持ち悪くなる一方だ」

「・・・そのとおりですな」

二人は殺伐とした景色を前に、場違いな大声で笑い声を上げた。

一頻り笑った後、いつものようなふざけた様子がふつっと途絶える。ヒースもルルドも急に真顔になった。

「トスティンから、ボーゼスが聖創力の研究と人身売買をしていたという報告はお前も聞いていたな。どう思った?」

「まったくとんでもない野郎だと率直に嫌悪しましたけど・・・、何か気がかりでも?」

「・・・・奇妙だと思わないか。いや、むしろ納得できるといえば良いのか・・・」

ヒースは自身の思考に没頭するように、独り言のように呟く。眉間に皴を寄せて考え込むヒースに、ルルドは邪魔にならないように、ただじっと話始めるのを待った。

「この邸に群れるレグレットは確実にボーゼスに対する憎しみで凶暴化している。周りの住民に目もくれないのがその証拠だ。おそらく、ボーゼスによって殺された人間のレグレットが集まっているんだろうけど、問題はこの酷い怨嗟の空気が基で、無垢な魂のレグレット化を誘発させていることだね。この国にレグレットが急増するわけだよ」

邸に渦巻くレグレットとは二通り離れた軒下から、野良犬の魂が浮び、昇天するのかと思えば、黒い靄を噴出してレグレットに変化した。そのレグレットは嬉々としてどこかへ消えてしまったが、それを見ていたルルドは舌打ちすると路面に唾を吐き捨てた。

「ここ数年で、レグレットが増えている理由もボーゼスの野郎が絡んでいたようですな。まさか、レグレットになる必要のない魂まで凶暴化していたとは・・・。いったいこの国の中枢は何をしていたんだか」

「・・・・我々は鐘なんだよ。ルルド」

ヒースの言葉にルルドは、「はぁっ?」と間の抜けた声を出す。ヒースはルルドの反応を心底楽しむような腹黒い笑みを浮かべた。

「我々はさながら祝祭を知らせる鐘なんだ。そして、その鐘を鳴らす人物は必ずいつから祝祭が始まるのかを知っているものさ。果たして、真実悪人なのは、ボーゼスだけかな」

ヒースは得てして、謎賭けのような言葉をよく使う。すぐにはその言葉の意味が理解できないことが常だが、しばらくして、彼の言いたいことを嫌というほど知ることになる。そして、ヒースは頗る悪戯好きで性格が歪んでいるため、ルルドが気付くまでその言葉の真意を教えてはくれないのである。

ルルドは諦観して、前を向いた。

「そろそろ参りましょうか。奴も首を長くして待っているはずです」

「そのまま首が長くなりすぎて、折れてしまえばいいのにね」

「まったくその通り」と失笑したルルドは一歩前に踏み出した。

一陣の風が吹きぬける。

風が泣いているのか、それとも哀れなレグレットが泣いているのか、骨に響くような哀しげな音が通りに吹き抜けていった。

「私は生まれながらに聖創力があり、レグレットに触れられる前に体内に流れる血によって守られているが、ルルドはどうする?まさか、私を護衛しにきたお前が先にやられるなんて事はないだろうな」

邸の入り口に行くまでには、当然レグレットの大群に接触せざる負えない状況である。ヒースは「お前に、この大群の中を突破できるのか?」という長年の従者に対して、かなり失礼なことを悪びれもせず言いたいらしい。

嫌味たらしい護衛対象の台詞に、ルルドは口端で笑った。体から発せられた気迫は隣のヒースをじりじりと圧迫する。

「問題ありません。正面突破します」

矢庭に、ルルドは刀剣を鞘から引き抜き、駆け出した。両手で刀剣を構え直したルルドは体に纏った滾(たぎ)るような力を腕に集中させ、邸の入り口の鉄扉に向けて振り下ろす。大気が刀剣を中心にうねり、渦を巻きながら直線状にいる数十体のレグレットを吹き飛ばし散りじりにする。

入り口までの数十歩の空間ががら空きに変わり、加速するルルドがそこへ突っ込み、邸から標的をルルドに変更して素早く対応したレグレットを片っ端から切りつけていく。

暴れ獅子が全てをなぎ払って突き進むかのようなルルドの後を、ヒースは空いた空間を散歩に行くような気軽さでついていく。ルルドがレグレットの入れない範囲に到着して、ヒースを待つと、ヒースはそれから少し遅れて姿を現した。

聖創力で体全体に覆うことができるヒースは、レグレットを浄化して進むのも途中で面倒になり、レグレットに絡み憑かれながらの陽気な到着である。さながらレグレットに取り付かれたヒースは泥団子も斯くやという風体だったが、一定の場所を通り抜けるとぬるぬるレグレットが剥がれていくので、気持ち悪い光景をルルドに見せ付けることになった。

 

 邸の内部に入ると、様々な人の気配を察して二人とも口を噤む。

赤・黒の縞模様のタイルやジグザグ模様の壁。緩やかにカーブを描く鉄の階段。室内は沈鬱に黙りこんでいるような静けさが邸を支配していた。ロングケース・クロックの白の文字盤の針がカチリと振れると同時に、薄暗かった室内にポッと明かりが灯る。長い足首まである純白の法衣で身を覆ったボーゼスがそこにいた。

手燭で足元を照らしながら階段を下りてくる。その表情は歓喜しか読み取ることができなかった。

「よく、よく来てくださった。これで私の孫は救われます」

大袈裟に歓迎の意を表すボーゼスに、ヒースも完璧な作り笑いで会釈する。ヒースの後ろで控えたルルドが、鼻で笑う。

 

 財務官長室潜入後、行方不明の子供については、中々無視できない件数の被害届が城に寄せられていることがわかった。それから間もなく、トスティンからボーゼスが子供を攫ってどんな悪事を行っていたのかを聞き出すことができた。

その話に耳を傾けていたルルドは怒り、同時に今まで知っていたのに黙っていたトスティンを攻めた。

しかし、主人でもないヒースに、暗部のトスティンが全ての情報を渡す義務などない。むしろ、これほどの情報を流してくれること自体異例ともいえることをヒースは述べ、ルルドの怒りを静めた。

だが、トスティンから聞いた内容はあまりにも邪悪で、愚劣な欲のなせる愚行だったのは言うまでもない。

「このような埃臭い邸でご不満かとも思いますが、孫を蘇らせて頂いた暁には、心を尽くした晩餐の用意もしております。どうか、どうか、今日はお願い致しますぞ」

「えぇ、わかっておりますとも。心配はございません」

「さすがですな。心強い」

ボーゼスも、もちろん暗部を飼っている。おそらくヒースの真意などとっくに気づいているのだろう。

お互いそれをおくびにも出さず終始笑顔を崩さない。

挨拶の終わった後さっそく、孫の遺体があるという場所へ移動することになった。

 

 その間、抜け目なく辺りに気を配っていたルルドは、前方を歩くボーゼスには聞こえない程度の音量でヒースに話しかけた。

「周辺に二、三十。それと邸外にはちらほら隠れているようですな」

「多いな。全部子飼いの暗部かな?」

「いえ、邸内でいいますと約十人はただのボーゼス一派の聖職者でしょう。気配をうまく消せない素人です。しかし、なにより広い邸ですから、まだ何十か人がいると考えていいでしょうな」

「人海戦術で意地でも私を言いなりにするつもりかな?」

ヒースの赤い目に険が篭る。

「そうかもしれませんが、せいぜい、死なせないように頑張りましょう」

「よろしく頼む」

 

 一人でも肩が擦れるほど狭くて薄暗い階段を下り、二人が連れてこられた場所は窓のない地下室だった。

そして、その前方中央の小さな赤黒い祭壇の上には、意味ありげな巨大な銀の聖杯が祭壇を踏みつけるように乗っていた。

ボーゼスの手燭に照らされて眩しく輝いた聖杯内部を覘くと、煤のついた黒い人骨が収まっている。

「・・・これが孫です。さっそくで恐縮なのですが、お願い致します」

「死因は火事ですか・・・可哀想に。さぞかし、この子は恐い思いをしたのでしょうね」

「えぇ、まったく・・・」

「・・・ところで私の記憶が確かなら、ご家族三人とも火事で死んでいるはず・・・。それなのにボーゼス殿はお孫様だけ生き返らせたいのですね。・・・それに、娘のリディアン殿ご夫婦とは数年前から別居してたはずですよね。こんな姿になったのにご息女ではなく、お孫様だとわかるのも縁者だからですか?すごいですね」

ヒースは流れるように辛口に述べると、それまでの上品な笑みを剥がして、口端を吊り上げていた。

 今から三年ぐらい前、ヒースは大聖堂の脇にあたる奥まった死角に、子供を守るように抱えて死んでいる男を見つけた。子供は無傷で気絶しているだけだったが、男は全身ひどい火傷で力尽きて息絶えたようだった。

ペントラルゴには、早くに両親を亡くした子供を預かる保育施設が存在する。しかし、身元のはっきりしない子供は法王付きの暗部として育てられる場合もあった。

しばらく考えた結果、独断で男を生き返らせることにしたが、不運なことにすでに周囲の人間が男のことを覚えていなかったため、男はまともな人生を歩めなくなっていた。

すぐに男が姿を消したのでその後どうなったのか知らなかったのだが、再会してから聴いた話によれば、子供の記憶を消してから友人に託し、それから暗部として働いていたという。

三年ぶりに登城した時には本当に驚いた。なにせどういう因果かその男の子供に会った直後に再会したからだ。

男の顔を見るまでその子のことは忘れていたが、その男、トスティンのことは妙に記憶に残っていた。

蘇生した直後の滾るような憎悪の仮面を貼り付けていたあの男が、このボーゼスの言葉を聴いたらそらぞらしい嘘に鼻で笑っていただろう。

 

・・・落ち窪んだボーゼスの目が持ち上がり、邪悪な曇った瞳でヒースを凝視していた。

「孫を助けてくれないつもりですか?」

ヒースは「いいえ」とゆったりと首を振った。

「始めます。下がってください」

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