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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第四章 理不尽な真実

五、

 

 ヴァッツはしばらく走った後、第五地区の小径で在りえない光景を目にした。普段第五地区にいるはずのない、青い外套を羽織った精悍な体躯の聖騎士達が、すし詰めのように隊を成して駐屯していたのだ。場所が場所なので移駐と形容しても違和感がない。

基本的に聖騎士が第五地区に来ることがないのは、反教会的な思想を持った人間が多くいる土地柄だけに、聖騎士が第五地区に訪れるだけで暴動が起こる可能性があるからだった。教会としてはそうした人間を他国へ追いやりたいというのが本音であったが、仮にも聖なる国として外面を保っているだけに、下手なことができないでいるというのが現状である。

それが今、一隊はいるであろう数の聖騎士がこの土地に足を踏み入れている。

何事かと思うのは何もヴァッツだけではないだろう。

現に、民家の窓は閉められ、誰も通りを歩く者がいない。

そして、おかしいのは聖騎士の登場だけではなかった。

このコルチェ中から掻き集めたかのようなレグレットが、邸の前で渦を成していたからである。

腕時計に視線を落とすと、針がまっすぐ邸へ向いていた。

(師匠はこの中か・・・・)

ヴァッツは嫌な顔をすると、背を伸ばし、レグレットの中を突き進む。

 

 記憶の戻ったヴァッツにとって、レグレットの中を突破することは朝食を早食いするより簡単なことだった。邸の陰鬱な雰囲気といい、気持ち悪さを堪えて鉄扉を開くと、地下から力の放流を察知し、間もなく激しい揺れと轟音に襲われた。

トスティン達が聞いた、邸の結界が解かれ、レグレットが邸に雪崩込む音だ。少し前をトスティン達がいるはずであるが、ヴァッツはこの時点では気付いておらず、レグレット達が駆り立てられるように通りすぎて行くのをただ茫然と見送った。

・・・グアァァァアァア

未踏の地で淋しく死んだ亡者の声はきっとこんな苦しい声で泣くのだろう。

ヴァッツは耳を塞ぐことができなかった。

(あの子も死ぬ間際はこうやって泣いたのかもしれない・・・)

 ヴァッツは姿を見せない少女を思った。しかし、感傷に浸る時間もなく、強い力の感じる方向に一散に足を向ける。

そして、旋律が体に染み込み、淡い白光が視界を浸食した。

 

 

そこは、 のっぺりとした壁に囲まれた地下室。

砂金を散らせたような煌きを放つ人物の瞳が、赤から緑へと変色するのを、ちょうど目にする。移調を繰り返すヒースの声は哀調を帯びた旋律を紡ぎ重厚だった。体から放たれる光は白く景色を塗りつぶしていく。

一瞬トスティンとピトロ、それにルルドにボーゼスを視認できた。声を掛けようかと思ったヴァッツだったが、抵抗できない暴力的な力の激流に飲まれて水底に沈んだように声を発することもできない。

・・・おぉ、おおぉぉぉおおぉ

白い夢の中で声の嗄れた女の声がする。死の間際の物乞いが発する声に似て、生命力を一切感じさせない声である。白い炎の中で、細い人影がゆっくりと立ち上がる。棒切れのような骨に次第に肉がつき、頭からはうねりながら髪が生えた。

明るい背景のためか現実味がさっぱりない。まるで、ヒースの声に合わせて、人が作られていくようだ。

あぁ・・・あ・・・

ふらりと立った女の背は焼け焦げて、髪は縮れていた。まるきり悪夢なのに、童話の中みたいに捩(よじ)れた優しさに包まれるかのような錯覚を受ける。

そして、だんだん―――だんだん時は遡る・・・・・。

女の爛(ただ)れた肌も珠のような淡い象牙色の肌に変わり・・・炎のように真っ赤な髪になっていった。

「あぁ・・・・」

その声も甘い音に変わる。

「会いたかったわ・・・」

誰かに向かってその人物は微笑んだ。

「俺も。ずっと会いたかった」

すると、白い世界にトスティンの姿が妙にはっきり、明確に、瞳に映った。触れてもいないのに、触れ合ってるように。そっと瞳が絡み合うだけで、お互いを確認するように、じっと、二人は見つめあった。二人がお互いの距離を縮めるように歩みより、近づけば近づくほど白い世界は現実を帯びていく。

白い炎は白い蝶が羽ばたくがごとく飛び散り、ぱらぱら現実の風景を映し出す。

・・・・気がつけば、そこはもう冷たい地下室だった。

「トスティン。ありがとう」

腕の中に納まって、胸板に顔を埋めたリディアンが吐息を漏らした。トスティンの目に涙が滲む。それから間もなく硬く閉ざした口端から漏れるような嗚咽に変わっていった。

「どういうことだ?なぜリディアンが」

ボーゼスは放心して、二人を凝視する。ヴァッツだと思っていた骨から、自身が殺した娘が現れたのだ。動揺を隠すこともできないのだろう。

「ヴァッツが生き返るはずではなかったのか?」

定まらない視点が、ヒースの顔で止まった。

ヒースはというと、荒い息を繰り返しながらもずっとなぜかヴァッツを見ていた。「思い出したんだろ?そうだよな?」まるで悪戯小僧顔負けの憎たらしさで、その台詞を言われたみたいだった。悪戯に成功した子供はきっとこんな顔をしている。

 

 だが、確かに思い出したのだ。それはあの少女のことだけではもちろんない。

祖父ボーゼスのことは名前こそ知っていたが、当時、母リディアンが亡くなる頃には、顔を覚えていないほど疎遠になっていた。三歳になる頃に外人居留区の、あのクムジェンの館に三人で引越し、それ以後会ったことがなかったからだ。

トスティンが外国人ということもあって外人居留区で生活することになったヴァッツだったが、その間はとても幸せだった。

交易商の護衛の仕事をしていたトスティンは中々有名人だったし、何より母の実家であるロウ家は法王の血筋に連なる由緒正しい家柄のため、仕事も順調で暮らし向きも良かったからだ。でも、母さんは幸せではなかったんだろうなぁと今のヴァッツはそう思う。早い時期から実の父親に不信感を抱いていたからだ・・・。

引っ越して七年ほどすると、第四地区の質素な家に逃げるように引っ越すことになった。生活が厳しくなったのだとそう説明されたが、ただ身を隠そうとしたのだろうとヴァッツは思う。リディアンはぴりぴり落ちつかなげだった。いつも仕事で家にいないトスティンが、それから家にいる時間が増えたのでよく覚えている。

なぜ、あの冊子を前の館に置いてきたのかも、早々に襲われることを予測し、複写して隠しておいたからに違いない。それが、今になってヴァッツが目にするような書斎の書棚にあったのは、偏にあの万事仕事を完璧にこなす優秀な使用人の男が、前の家主の使用物も丁寧に整理した結果だったのだろう。

 

・・・そして、ついに家が炎に包まれたあの日。部屋で、爆発音を聞いた。それから、リディアンを脇に抱えてふらふらになりながら入ってきたトスティンの顔を見て、ヴァッツの意識は途切れたのだった。

でも、その時の様子は、頭の中で隅々まで再現する事ができた。

ひどい火傷を負ったリディアンはもう死んでいたようだった。腕が垂れ下がって、ぶらぶら揺れていたからだ。だが、トスティンは必死に抱えて、炎を背に、ひどく泣いていた。熱さで流れる涙がすぐに頬にへばりついて哀れだった。

(小さい頃に怪我をして泣いていると、母さんが指で涙を拭ってくれた。俺達はその相手を亡くしてしまったんだ)

思い出したヴァッツは、そっと、溢れ出しそうな涙を拭いた。

火事直後、トスティンは哀絶の決断を下した。生きているヴァッツを確実に助けるために。死んだリディアンをヴァッツの部屋に残して逃げたのだ・・・・。

 「ボーゼス殿。どうやら貴殿は生き返らせたい人物の骨を間違えたらしいですね。でも、よかったですね。娘さんが帰ってきて」

ボーゼスの赤らんだ顔が急に血の気が失せて、斑になった。

それを嗜虐的な顔でヒースは眺める。トスティンからボーゼスが所有している骨はリディアンのものであると聞いた時は単純に驚いたが、実際思惑通り事が運ぶと何ともボーゼスが滑稽でならない。三人が死亡したのだと思い込んでいたボーゼスは、孫の部屋の位置にあった骨をヴァッツの骨だと勘違いし、ヒースが帰国するまで後生大事に保管していたという事実に今やっと気付き、悔しそうに顔を歪めている。

「ところで、ボーゼス殿は、この近くで大量の人体実験が行われていたのをご存知ですか?」

「いや、知りませんな」

冷静さと取り戻そうとするボーゼスは喉を上下させる。

「もしや私をお疑いか?ひどい言いがかりですな。いったいなんの証拠があって?」

「その研究施設の子供達は保護された。貴様達がやったという証言はでてくる。それに・・・記憶を消していたお前の暗部のあの女・・・」

トスティンはリディアンの顔を見下ろしながら「死んだぞ」と、無常に言い捨てた。

「フン、死に底ないが。私がやったという証言が出てきたと言って、やってもいない事を白状させるつもりなのか?馬鹿馬鹿しい。私はそんな悪魔のような男ではない。女神に仕える敬虔な信者だ、そんなことをするはずがなかろう」

「余裕ですな」

ヴァッツの隣で高みの見物をしていたルルドがポツリと呟く。

ボーゼスは、きっと自分の顔を見た子供達をあの白いフードに予め記憶を消すように伝えていたのだろう。だとしたら、子供達は誰が自分達を誘拐したのか知らない。唯一、記憶を消されることのない実験体となった官師の若者達も、実験の犠牲になって生きていないことだろう。ヴァッツはそう確信していた。だからボーゼスは余裕があるのだ。

ボーゼスの非道な悪賢さにヴァッツの中に怒りが湧き起こる。

「言い逃れできないよ。証言を出すこともできるんだから」

ヴァッツは怒りに任せて声を張り上げていた。見つめるそれぞれの視線が集中して痛い。

「何だね、君は?どうしてこんな所にいるのかね?」
ボーゼスは正体不明の子供には元から眼中にない様子で、不遜な態度でヴァッツを見下ろす。

「僕の顔を覚えていないの?当たり前だよね。ずっと会ったことなかったから」

「ヴァッツ!」

懐かしい母親の声がヴァッツの名を呼んだ。

「どうしてここに?」

「巻き込まれたんだよ。後は親父の遺伝子のせい。最後までわからないままにできなかったし、部外者でいられなかったんだ」

当惑するリディアンがトスティンに目で問いかけるが、相手は肩を竦めるに止めた。かくいうヴァッツはやけくそである。

「ヴァッツ?じゃあ、君が私の孫なのかね?」

まだ事情を理解できていないボーゼスは半信半疑で問いかけた。しかし、声音は明らかに柔らかくなっている。

「残念ながらそうだよ」

「しかし、君は死んだはずではなかったかな?」

「ヒース司教の力で生き返ったわけではないよ。もとから、あの火事が起こった日に助かってたんだ。そのアンタは、俺を生き返らせようとしたみたいだけどね」

「あぁ、そうだよ。私は君が生き返るのを望んでいたんだ。我が家のために」

ボーゼスは、興奮と疑惑の混じった声音に無理やり優しさをのせて話した。

「それで、生き返ったら母さんを殺した事も知らぬふりをして俺を育てようとした?」

「君達を殺そうとしたなんて、君もそんな馬鹿らしいことを信じるのかね?私はこれからの一族のことを考えて君を生き返らせようとしたのだよ」

「お父様はいつもそれね。私が聖創力の強い男性と結婚しなかったから、焦ったのでしょう?この国では聖創力の力が強くなければ落ちぶれていくのですもの。でも、あんな非道な事ができるなんて、おかしいわ!!」

リディアンは一歩ボーゼスに近づいていく。ボーゼスは暗い目でそれを眺めていたが、うっと声を上げた。外に充満していたレグレットの群れがいつの間にか部屋に入り込み、複数でボーゼスに飛び掛ったのだ。

「レグレットが、一散に貴殿を襲っている。まさにコルチェの異常な数のレグレットはほとんどあなたが殺した人間だった証拠ともいえるでしょう。さぞや、心残りだったのでしょうね。あなたを殺せないことが」

直接傷を負うことはなかったが、ぶつかった時の衝撃でボーゼスはよろめいた。ヒースの述べるとおり、もともと人を襲う習性のレグレットが、ボーゼスにしか攻撃を加えていないことで既に罪状は目に見えていた。

「いくらヒース様でも、私が大量に人を殺したなど、失礼にもほどがある」

「往生際が悪いよ。証拠なら、牢の中の神父もあんたのやっていることを知っているし、俺もばっちりあんたが怪しげな研究所にいたのを見たんだぞ」

「神父など私の地位に約款(やっかん)ででたらめを言うに決まっている。それに、子供の言うことなど信憑性がない」

「殺された官師を生き返らせてもらえば証言が出るでしょ。それに、この冊子に被害者の数や人名がちゃんと書かれているんだから言い逃れできないよ」

ヴァッツはさっと黒い冊子を見せ付けた。

「あぁ、なるほどその手がありましたか。これほど多数の死者が出ている以上、蘇生の力を使うなとは法王様もおっしゃらないでしょうしね」

ピトロは満足したように頷いた。トスティンもにやりとする。

「ヒース様!」

突然ルルドが俊敏な動きでヒースの前に出ると、刀剣を振りかぶり何かを弾いた。それは大きく弧を描いてヴァッツの目前まで跳ねる。

「しまった!」

ヴァッツはその何かに触れるぎりぎりで、突き飛ばされて床に尻を打ち付ける。

「母さん!」

ヴァッツを庇うように覆いかぶさったリディアンに、銀に煌くそれが透りすぎて空を切った。

「母さん。その体・・・どういうこと?」

「ヴァッツ、余所見するな」

咄嗟に後ろに一回転をした瞬間に、足元をまたあの銀の光が走った。母親の体を透りすぎたのは、銀製の鞭だった。

「完璧に生き返ったのではないのですか・・・」

ピトロのヒースへの非難の声は、後方から飛来した湾曲を描いた武器によって後が続かなかった。

「やっと、お出ましのようですな」

部屋の一箇所にしかなかったはずの出入り口が部屋の奥にも現れ、隠し部屋へと繋がっていた。そして、部屋には法衣を身に着けた聖職者と、気配を感じさせない薄気味悪い暗部達が武器を携えじりじり部屋を包囲していた。

「やれやれ、うちの騎士達は何をしているのかな。呼んであるんだよね?」

「自分の中隊に来るように要請しときましたけどね。何分自分でいうのも何ですが、ずっと不在だった名ばかり隊長の私が呼んだからって、本当に来てるか知りませんよ」

自分達の数倍はある人数が段々と包囲網を縮めて、ヴァッツらは中央へ追いやられていく。

「あのさ。その騎士なら、さっき外で待機してるのを見たけど」

「けど?」

「待機してるだけだった」

それを聴いて、ピトロは自身の顔を両手で覆い、リディアンは頭を振った。

「ねぇ、もしかして隊長なのに信用ないの?」

「ヴァッツ!」

誰もが言えなかった質問をさらりと言ってしまったヴァッツを、リディアンは諌め、ヒースは口を引き結んで喉を上下させて笑いを堪えた。 一見長閑(のどか)な雰囲気も現状は緊迫している。

先ほどから鞭をうねらす黒いフードの男は手を休めていたわけでもなくヒースを標的に狙ってきていたし、ダガーと呼ばれる東方の武器はトスティンを中心に攻撃を仕掛けてきていた。

「もっと激しくかかれぇぇ!!」

さっきまでやってないと言っていた態度を翻し、ボーゼスがしゃくり上げるような甲高い声で命じていた。そして、自身の周りを腹心の聖職者達に守らせて、隠し部屋へと後じさる。

「あっ逃げるなよ」

「何とか少しでも数を減らせるといいんですが・・・」

ルルドやトスティンはまだしも、ピトロは荒い息で、息をするのも必死だ。

「成敗!!」

皆が焦った中、ルルドの刀剣が人知を超えた力で敵の隙間を縫って迫り、敵を薙ぎ払う。

「今の内にボーゼスを追え。逃がすなよ」

凄まじい剣圧の前には、多勢の敵の間に一直線に伸びる空間が開いた。その先にはボーゼスの消えた部屋の入り口がある。

「気をつけて」

ヒースとルルドはここで敵を引き止めて残るために、ヴァッツらの援護に移った。

(あれ、親父?)

確かに近くにいたはずのトスティンの姿が消えている。立ち止まるわけにもいかず、ヴァッツは疑問を抱えながらもピトロとリディアンの後を追った。

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