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ペントラルゴ 〜忘却の頌歌〜

第四章 理不尽な真実

七、

 

 「どうやら間に合ったみたいだね」と、いつもの笑いを含んだ調子の美声が耳鳴りの向こうから聴こえてきた。そして、もう一人、「まったく、見た目だけじゃなく行いも醜いこと」と聞き覚えのない深みのある老女の声もする。

 体の隅々が痛んだ。うつ伏せに倒れていたらしい。重たい頭を上げると、ちょうどヴァッツを覗きこむように身を屈めたヒースがそこにいた。

「助かったの?」

天井から落ちてくる埃を払いながら、定まらない目でヒースの燃えるような赤い瞳を確認する。

ボーゼスの放った強烈な力が体にかかった瞬間に意識が途切れた。ただ、その一瞬に、別方向からさらに大きな力が、ヴァッツを襲う力から開放してくれたのを覚えている。

「助かったの?」

もう一度、ヒースに問いかけてみた。すると、おかしそうに「誰が?」と、意地悪で遠まわしな質問をされた。

「みんな・・・と俺」

「みんな無事だ。俺は自分で確かめてくれないとわからないね」

少し頭がすっきりしだしたら、変なことを言ったのだと気づいて、そっぽ向きながら「・・・俺は大丈夫だよ」とだけ答えた。その返答に、思ったより意地悪ではない顔で笑ったヒースが「よかったね」と言ってくれた。

 部屋はまるで竜巻が通り過ぎたようだった。原型を止めていない何かが散乱し、器具が千切れたり捩れたりしてひどい有様と化している。天井と壁の壁紙は剥れ、ボーゼスのいた東は瓦解し、隣にあっただろう部屋は見る影もなく消滅。屋根に開いた穴からは星が浮ぶ空を仰ぐことができた。

ただ、皆がいた西側は奇跡的に無事で、ピトロも壁に凭れてぐったりしている。しかし、ヴァッツが顔を向けると手を振ってくれた。

(助かったんだ)

しばらくして安堵の吐息を吐く。大きな手が頭を撫でてくれた。ルルドだ。

「頑張ったな、坊主」

ほっとする声音に、ふと、思い出して周りを見渡した。

「ボーゼスはどうなったの?」

「もちろん、決着がついた。もう心配しなくていいぞ」

「決着?」

「あぁ、ヴァッツが投げた小瓶は国が開発したての聖創力を無効化する薬だったんだ。まぁ、まだ試作品だったらしいから一時的な効果しかなかったらしいけどね。でも、すんでのところで間に合った私達が、聖創力でボーゼスの力を跳ね返し、力を失ったボーゼスは跳ね返された自分の力に耐え切れず・・・」

「死んじゃったんだ?」

それに、ヒースはこくりと頷いた。最悪な悪事をした祖父だったので、悲しくはなかった。ほっ、と安心もしている。ただ、自分の望んだ力が自身を殺した結果は哀れに思えた。

「自分の悪行が自分に跳ね返ってくる。まさしく因果応報ですな」

ルルドはしみじみとした様子でぽつりと呟いた。それを聞いたヒースは鼻で笑って聞いた。

「なんだ?東の思想か?」

「えぇ、まぁそんなところです」

「因果応報かぁ・・・それならいつか、この国も滅びるかもしれないな」

それを聞きとがめたエディロアが口を出した。

「まぁ、何てことを!ルイースフェル教にはそんな思想はないから大丈夫です」

伯母に睨みつけられたヒースは辟易した様子で肩を落として黙り込んだ。そこへ、ピトロが大儀そうに歩みよって来る。

「猊下、それにヒース司教、この度は助けて頂き有難うございました」

そこで一旦頭を下げた後、ピトロの瞳が鋭く輝いた。

「今回のことでボーゼスの悪事も明るみになり、正常政策が廃止されると思って良ろしいですね?」

『猊下』という称号を聞いて、そこらの聖職者の老婆だと思っていたヴァッツは度肝を抜かれて唖然とする。確かに年老いて青い血管が目立つ首には大輪のルスフェルの刺青が咲いている。猊下といえば、法皇に続いて国家第二位の権力者である。そんな大人物がこんな所に来ていること事態、異例であるに違いない。

「あなたの噂は聞いたことがありますよ。なんでも腕のいい封師らしいですね」

年を重ねているものの、その表情は若々しくどこか可愛らしい印象を見るものに与える。しかし、話すと威厳も感じられる。その奇妙なバランスは、神秘的といえる雰囲気があるのだからこの老女は不思議である。

「正常政策なら、おそらくあなたの言うとおり撤回されることでしょう。今にして思えば、ボーゼス一派が、拉致された被害者の縁者達に悪事を追求されないように考えられた政策とも考えられますし、頭がまともな聖職者なら今度こそ強固に廃止を望むはずです」

「信じてもよろしいのですね?」

「政策の廃止は聖会議で決まります。はっきりそうだとは私でも言えませんけれど、法皇様が撤回を望んでいることは確かですわ」

ピトロは胸を押し抱いてほぉっと息を吐き「ありがとうございます」と、礼を述べた。

「よかったですな」

ピトロの様子に大体の事情を察したルルドが笑いかける。

「そういえば、アシアが言っていた東国出身の方というのはあなたなのですか?確か鬼という恐ろしい化け物の話をした・・・」

「あぁ、そういえば以前そんな話をしましたかね。しかし、鬼が恐ろしい化け物とは・・・全部が全部悪い鬼ばかりではないのですが、どうやらアシアに偏った印象を与えてしまったようです」

それを聞いて、ピトロはなぜかほっとしたようにヴァッツには見えた。

 

 

 半分倒壊した邸の前で、リディアンは食い入るように満天に広がる星を見上げた。

一方、トスティンはそんな妻を見つめる・・・。舗装もされず、今にも壊れそうな町並みを、リディアンの透けた体ごしに見ることができた。ヴァッツを助けるために自分に残っている聖創力を使ったため、リディアンの体は観るからに透けてしまったようだ。

最初から、肉体が蘇生したわけではなく、レグレットとしてこの世に戻ってきたリディアンの時間はもう残り僅かだった。

「なぁ、どうしてちゃんと生き返らなかったんだ?まさかヒース司教が失敗したわけじゃないんだろう。また俺と一緒に生きていこうと思わなかったのかよ」

妻を詰(なじ)ったトスティンはすぐに後悔して悄然と顔を伏す。

やりきれなかった。

「・・・・・私は、あなたやヴァッツに会いたいと思ったわ。でもそれ以上は望むつもりなんかなかった。だって、本来人は生き返ったりしないものだもの。これで良かったの。ヴァッツを助けることができたし、あなたともまた会えたから」

もう、ほとんど見えなくなった顔で笑ったリディアンは、そっとトスティンの顔を撫でた。

「お前は嫌な女だ。死んでも俺より女神の教えに忠実であろうとする」

「えぇ、そうね。でも、これは女神の教えだけではなく、人として間違ってなかったと思うの」

添えられた手を軽く振り払らい、そっぽを向いた夫にリディアンはもう一度手を伸ばす。

「気づいてる?その不貞腐れた顔が親子そっくりなのよ。これからは、ヴァッツのことを自分にかまけて忘れないでやってよ」

懇願するような声音に、トスティンはリディアンの手を強く握った。

「・・・・努力する。・・・また会えただけでも、本当は嬉しかった」

「分かってるわ。あなたはまだ私のことを愛しているもの」

そう自信たっぷりに微笑んだリディアンは、邸から出てきたヴァッツに手をふり、最後にトスティンの額にキスを落として、流れ星のように一瞬にして消えてしまった・・・。

 

 

 大勢の敵に襲われた地下室では、ヴァッツ達がボーゼスを追いかけて出て行った後に突入した第三部隊によって、悪徳聖職者と暗部一味は拘束され、現在は護送されている最中だった。

そして、ヒースは帰り際に、ルルドに副部隊長らしき若い男が平謝りする現場に居合わせた。

突入が遅れたことへの謝罪だったのだが、謝罪慣れしていないルルドは何度も謝られて逆に窮屈そうにしている。ボーゼスの力の暴走を、既のところで駆けつけたヒースとエディロアによって阻止されることになったが、もしあのタイミングで部隊が駆けつけなければ、ヴァッツらがいる場所には駆けつけることはできなかっただろう。

他の兵士に混ざって黙々と手を動かして働く、男二人を見つめてヒースはルルドが少し気の毒に思えた。

その男の一人は銀製の鞭を、一人はダガーを腰にぶら下げている。ヴァッツらが部屋から出て行った後、ボーゼスに味方していた二人は突然寝返って加勢を始めた。そして、間もなく第三部隊が到着したのである。その後聞いた二人の話から、以前からボーゼス側に潜り込んでいた隊員だったことが判明している。そして、ルルドの命令に反した部隊と、ここぞとばかりにエディロアが現れたことについての関係性・・・。

むろんエディロアはめったやたらに部隊の作戦に参加するような地位でも人物でもない。とどのつまり、エディロアはこうなることを早くから知っていたからこそ、この場に現れたといえるのである。また、聖騎士部隊を動かせるような権力者は伯母のエディロアしかいない。

 背筋の伸びた、年を感じさせない足取りで現れたエディロアの姿を認めて、ヒースは笑顔で軽く手を振った。清楚に微笑んだ伯母はゆっくり歩み寄ってくる。

「伯母上、今日はご苦労様でした。しかし、今回のことで、私はあなたに演技の才能があることを知って感服致しましたよ」

ヒースは、いつの間にか姿を消したトスティンを思い出しながらも、強烈な皮肉をこめて言ってやった。

「まぁ、あなたに褒められるなんて嬉しいわ。でも、演技ってなんのことですの?」

さすがのエディロアは甥の迫力もまるで微風でも体感しているように意に介さず、喜色満面そのものだ。だが、ヒースが言いたいことを正確に理解しているはずである。

「伯母上、水臭いじゃないですか。トスティンの主人があなただとどうして教えてくれなかったのです?資料室ではお互い顔を合わせていたのに、あなたはまったくそんな素振りも見せなかった」

「あら、どうしてそう思ったのですか?」

エディロアはふふっと笑う。

「第三部隊が突入してきたタイミングですよ。あの時部隊を呼びにいったのは、しばらく姿を消していたトスティンとしか考えられません。そう考えれば、トスティンの主人が伯母上だと思うのが普通でしょう?・・・数年不在だったルルド隊長に代わって、実質的に部隊を動かしていたのは伯母上ではありませんか?いや、伯母上の背後にいる法皇様といえばいいのでしょうか・・・・」

近くで話を聞いていたルルドは不審そうにヒースとエディロアを交互に見やる。

「聖騎士部隊はすべからく法皇様や聖会議の方針にそって行動することが求められるものです」

「しかし、実質的に部隊を指揮し、作戦を決行するのは部隊長に一任されているのが普通です。それが今回、ルルドの命令とは違った行動を部隊がとっている。もちろん、その行動の目的や意義は法皇様や聖会議によって決められるものですが・・・作戦決行を指揮するのは部隊長である以上、そこには何らかの圧力が部隊にかかったと考えるのが妥当でしょう。そして、それができるのは、法皇様と伯母上だけです。今回の突入は聖会議で決められたものでなく、法皇様の一存で決められたことですね?」

エディロアは今までとは違った深みのある笑みを浮かべて外へでるようにヒースを促した。その時、ちらりと副部隊長に視線を向けると罰が悪そうにもう一度頭を下げていた。

人気がない邸の一角にある部屋に入ると、エディロアは口を開いた。

「あなたのいう通り、トスティンに力を貸していたのは私です」

「貸していた」と、遠まわしに言うのがいかにもエディロアらしかった。

「第三部隊のこともあなたの言うとおりです。由緒正しい聖会議も、腐敗した聖職者によって上手く機能しなくなってきました。ましてや、その会議出席者にはボーゼスと繋がっている者が大勢いたはずですから、議題に上らせること自体馬鹿みたいなものですわ」

「そうでしょうねぇ」

「黙っていた私を非難するぐらいなら、あなたはもう少し早く法皇様のお考えに気づくべきでしたわ。そのご様子では次代の法皇になるのはまだ先ですわね」

非難していたはずのヒースが、逆に非難されてしまう。

「伯母上の言う早く気づくべき事とは、正常政策が行われる前から法皇様がボーゼス達の企みを知っていて、今まで泳がせていたことですか?それとも、聖創力の力を無効化する薬の研究に多額の国家予算をかけたことですか?正常政策が行われる少し前に、すでにそんな大事業が行われていたとはついとも知りませんでしたが」

間髪入れずに問う甥に、エディロアは気味が悪いほど終始笑顔だった。まるで、かわいい孫の話を聴く老婆のようで、ヒースの方がなぜか悪い事を言っているような気分になる。長年魑魅魍魎の巣で地位を確立しきた老女は、演技が本物か嘘かの区別もつけさせない。まるで、甥の成長を喜んでいるようだ。

しばらくヒースは疲労を感じて口を噤んだ。

「国家予算の減少に気づいていたとは知りませんでした」

「・・・偶々ですよ。正常政策の少し前だったんで気になっただけです」

「あの時、トスティンに小瓶を投げようと取り出した時、あなたはそれが何なのか気づいていた。なぜ、わかったのですか?」

「トスティンからボーゼスの開発している薬の話を聴いていましたから、ならば、その逆の物を作らなければ危険だと思ったことがあります。それで、伯母上が、小瓶を出した時ピンときたんですよ。しかし・・・汚職に塗れた聖職者を一掃するにしても、犠牲を出しすぎましたね。ボーゼスが研究していた薬が出来上がるのを待っていたのですか?」

「あれは、今後我が国に役に立つでしょう?」

「作るには非人道的且つコストが掛かりすぎて国では造れない魅力的な薬を、ボーゼスらが見事完成してくれたということですね・・・。そして、出来上がるまでは静観していたということですか・・・。よくそんな非道な英断を下したものだと、今さらながら父上や伯母上には感心しますよ。これで、悪しき聖職者の悪事は一気に露見し、その者達が国民の非難を一身に受ける。その後、この国はその薬によって以前より飛躍し、表層的に綺麗な国家に生まれ変わるのですね」

「そのためには、まず法皇様に非難がいかぬように、世論を上手く動かさねばなりません。あなたも分かっているでしょうけれど・・・」

「えぇ、貝にでもなっていましょう。ただし、何も知らずに働かされたんです。私は何もそのことに関して協力致しません」

エディロアは頷いて、用件はすんだとさっさと部屋を出て行った。

それからすぐ部屋に入ってきたルルドは、顔を歪ませながら「本当に、今更ながらとんでもない国だと実感しました」と言って扉を閉めた。

「立ち聞きするなんて比じゃないからね」

ルルドは肩を落として黙り込む。

「薬を完成させたと知った法皇様は、ボーゼスと対抗できるヒース様を帰還させ、孫を甦らせたいボーゼスがヒース様に接触してくるだろうことを予想していた。そして、我々がボーゼスの悪事を知って、それに抵抗することも分かっていたのでしょう。・・・ヒース様の言うとおり、我々は法皇子様達にとって祝際を知らせる鐘だったわけですな。悪徳聖職者達を一層し、薬が手に入る契機となる存在だったわけですから・・・・。それにしても、あの暗部がそれを許し、協力していたとは半ば信じられないことです」

「守備よく私に妻を蘇生させれば良いと教唆し、私が蘇生の力を使ったことにも目を瞑るとでも言ったんだろう。いや、それだけではなく、戸籍やその他生きて行くのに必要なものを保障したのかもしれない。いかにもやりそうなことだ」

珍しく沈んだ顔でルルドが溜息をつく。

「なぁ、ルルド。これからレグレットも減るだろうし、封師・想師・管師の退職問題とかいろいろこの国は荒れるだろうけどさ。それより、何より人々の記憶を消さなくなって、どう変わっていくのか気になるね」

「心配ですか?」

ヒースは身振りをつけて、「いや」と否定した。

「人は順応していく生き物だから、その忘却した頭で自分なりの答えに納得するさ」

ヒースは何でもないことのように笑った。

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