文字の大きさを変える
  • 大
  • 中
  • 小

中編小説

赤水郷

前のページへ  次のページへ

一、異邦人と紅い妓女 1

「どうしたね?」
漲永の南入り口、南大門の前で青頴は突然足を止めた。
ゆるりと首を動かし見つめる黒い瞳は、南大門から真っ直ぐ伸びる秦汪(しんおう)大路、中央奥に見える三鳳楼と呼ばれる高層の楼閣、石積みの街周壁を順に捉えている。
そうして最後に南大門の門楼を仰いで、吐息交じりに呟いた。
「思ったより大きい街だ」
感嘆の声音には困惑も含まれている。
隣の興光はそんな青頴に共感の意を表わすように頷いた。
門楼は軽く六丈の高さがあり、急勾配の瓦屋根の下は竜や仙女たちを模した装飾が施されている。連子窓から見張る兵士の甲冑は赤く厳(いか)めしい。興光の知るところ、漲永の街は董の都、康城(こうじょう)に劣らぬ広さを誇る商業の中継地点である。
青い甍が並ぶ町並み、幾つもある小路が中央の秦汪大路と交差し、整然と整備された街には様々は人種が集まり賑わっている。西域の大国ドルシャの隊商、海を渡った東の島国蓬莱(ほうらい)からの商人・貴族、その他董国周辺の衛星国家の人間も広く訪れる。
「高祖武斉(ぶせい)がこの地を侵略する以前、この街は廷という国の都だった。西に馬を走らせて三日の所には東域に繋がる暁珠(ぎょうしゅ)の港町があり、南の陸路は整備されてドルシャ国へ行くにも適している。街には二つの河が流れていて立地も良いから、董に吸収された後も活気が衰えることなく今も色んな人間が訪れている」
興光はそう説明して、紅い瓦の三鳳楼を指差した。
「あれは廷の宮殿跡だ。董の侵攻で随分破壊されたが、三つの楼閣と城壁が残っている。改築も終わり、今では地方官があそこで政務をこなしているって話だ」
「詳しいな。ここに来てから随分日が経つのか?」
湖で出会って共にここまで来た。しかし、人気のない湖で出会ったこの小男が怪しくないはずもなく、青頴は疑惑の眼差しを興光に向ける。その視線に気付いていないのか、興光は相変わらず飄々とした態度は崩さす、にやりと八重歯を見せて笑った。
「この街に定住したのは三日前だ。ただ董国には十六年前から住んでいる。ずっと康城にいたんだが、偶にこの街には来る機会はあってね。おかげでちょいとばかりこの街について詳しい」
荷車を押す者や牛車、馬車に乗った者が吸い込まれるように南大門門楼を潜っていく。歩哨に立っていた兵士が何をするでもなく佇む青頴たちを不審がり、こちらに近づいてくる。青頴は面倒なことは避けようと、馬を数頭つれた隊商に紛れて足早に門楼を抜けた。その後を当然のように興光がついてくる。
 門楼から離れると兵士も追ってこなくなり、持ち場に戻っていく。元々外敵の侵略に対して配置された兵だったが、孫文縁が天子となってからはその外交手腕によって平和な世が続き、専ら守護兵は門楼を潜る人間の交通整備のような役割と化している。一人二人の兵士が去ったのを目端で確認した青頴は、歩調を緩めて秦汪大路をどこへ向かうでもなく足を進めた。
「興光はこの街の地理にも詳しいのか?」
「良い宿を紹介するならお安い御用だよ」
「・・・それは助かるな」
心中を見透かした興光の返答に、青頴は薄く笑う。
二人が大路を右に折れると賑やかな市がたっていた。露店から売り込みの声があちこちから上がり、道行く人間の足を止めている。
雑踏の中、器用に人を避けながら、青頴はその様子を興味深そうに眺めながら通りすぎていく。
董人は黒髪黒目。峯徠出身の青頴は外見としてはほとんど董国の人間と大差がないのだが、日差しを吸い込んだように明るい色地の着物は目立ち、帯に佩いた太刀は董国のものより細身で珍しい。何よりすっと上がった切れ長の目と薄い唇、そして他の者よりも頭一つ抜き出た長身が人の視線を集めた。帯につけた佩玉が歩く度に爽やかな音を鳴らし、通りすぎる女達は顔を袖で隠して視線を送り、男達は道を開けていく。
「・・・・興光はおもしろいな」
店の老人が上機嫌に包子(パオツ)を勧めるのを手振りで断ると、青頴は呟くように言った。辺りの騒音に声がかき消されて聞えなかった興光が首を傾げたので、青頴は繰り返した。
「興光はおもしろい。まるで俺の心が見えているようだ」
康城に十六年住んでいた興光と違って、青頴は入国してまだ日が浅い。漲永のような広い街だと尚更、一夜泊まる場所を探すのも勝手がわからずどこを探せばいいのか途方に暮れる。董の宿屋は街中に散在しているわけではなく、一箇所に固まって建てられる傾向がある。それは宿屋に限らず他の店にも当て嵌まることで、慣れれば方角や他の建物の並びでどの辺りに何があるのかすぐに分かるようになっている。
しかし、董に訪れて日が浅い青頴にはそれを知る術(すべ)がない。昨夜立ち寄った町は日が暮れて大分経ってからようやく宿が見つかったほどだ。
その不安を顔には出していなかったため、何を聞こうとしているか敏感に察した興光には舌を巻いていた。
「さっき会ったばかりのアンタの気持ちがわかるわけではないが、これでも無駄に年とっちゃいないし、董国に来て大分経つからね。もし本当に人の心が見えるなら、この知らない土地へきてからの苦労はもっと少なかっただろうよ」
「苦労したように到底見えないが・・・」
「異国に来たからには、違う文化を持った人間と付き合わなければいけない。そりゃあ、苦労しないはずがないさ。ただ・・・生きている上で苦労しない人間なんていやしない。儂の場合は祖国で生活した方がもっと苦労していたかもしれないけどね」
青頴は不思議なぐらい共感できるところがあって、深く頷いた。無性に胸にくるものがあって溜息を吐こうとしたら、突然女の悲鳴が聞えてきたのでそれを飲み込むことになった。

前のページへ  次のページへ

赤水郷トップへ

ページの先頭へ

Copyright (C) 2011 KAZUKI All Rights Reserved.
inserted by FC2 system