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中編小説

赤水郷

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四、彷徨える魂 3

「今度は何だ?」
また違う次元に来たようである。
背に残る痛みと、展開についていけず、さすがの青頴も苛立ちを隠せずにいる。
周りを見渡すと、視界いっぱいにあった夜空は本来あるべき上空に移動しており、炎の巨人と化した燃える楼閣の火の粉が天に昇っている様を目の当たりにした。大量の火矢が楼閣に降り注ぎ、獰猛な火が楼閣に喰らいついて燃え上がっている。近くに人の気配はないが、空気中をうねるように響く悲鳴と怒号が、ここから戦場が近いことを知らせる。
時は夜。しかし、火事が起きているせいで、落日に見紛うほど辺りは不吉に照らされていた。雪が積もっているため冷気が下から這い上がってくるが、上半身は熱風に晒されて熱い・・・。
「誰かの夢の中に迷いこんだようだね」
陽気な興光が他人事のように言うと、その場に座りこんだ。へたり込んだと言ってもいい。幻妖よりも珍妙な謎の男、興光もさすがに年には勝てないらしい。
「雪で分かりづらかったが、ここは三鳳楼の洸源池じゃな」
建物の瓦は赤く、楼閣の造形は間違いなく漲永の象徴ともいえる巨大建造物である。視界の端には見覚えのある池。そして、炎上しているのは、見たことのない楼閣であった。
楊玉の指摘通り、青頴達がいるのは、どうやら洸源池の入り口近くらしい。但し、三鳳楼にいるといえど、本来春であったはずが雪景色とあっては、赤水郷から脱出したとは到底考えられず、興光の言うとおり、赤水郷の夢の中であるということは確かである。
「今、存在しないはずの四つ目の楼閣が燃えているということは、ここは董が廷に侵攻してきたときの夢であろう。確か五つの楼閣が三つに減ったのは廷が滅亡した夜で、寒月の時期だったという話じゃから、季節もあっている」
「さすが公主様。歴史にも明るいようだねぇ」
洸源池に人影はなかったが、鬨(とき)の声が徐徐に膨れ上がっている。二人の意見が正しければ、ここは廷朝が終焉を迎える戦の過去を再現したものであり、戦況は正門が破られて、すでに董軍が中に侵入しているといったところであろう。
「この数日前、漲永近くの関所ではられた防衛戦線も董軍に突破され、廷軍は三鳳楼、この時代でいうところの廷城内に立て篭もって、隣国の援軍を待っていたそうだ。だけど、それも起死回生にならず、滅びることになった。史実によれば、領土拡大を狙う董王武斉は、同盟関係にあった諸外国の分裂を水面下で進めていたということが明らかになっている。そのため、小国であった廷は巨大な武力を備え始めた董の侵略を一国で抑えることになり、敢え無く巨大な軍事力の前に破れ去ったということだ」
「そして、その廷終幕の瞬間を再現した夢に、今俺たちはいる・・・ということか」
寒風と熱風が交互に吹き付け、髪を彩っていた簪も抜け、乱れた黒髪が楊玉の顔に絡みつく。隙間から覗く無垢な瞳が悲鳴と怒号と恐怖を孕んで炎上する楼閣を静かに見つめている。暴力的な轟音が響き、四つ目の楼閣が炎に蝕まれ、烈火の滝に流されるように屋根の瓦が崩れ落ちていく。
―――爆風に負けぬ歓声が上がった。
「・・・ここにいても仕方ない。興光、出口は?」
「まぁ、そう急かしなさんな。おそらく、この夢の出口は赤水郷の出口でもあるはずだ。確実な道を探さないといけない」
「赤水郷から出られるのか?」
目を閉じて、何やら集中しているらしい興光は、眉間を指で押さえながら「うん」と頷く。
「赤水郷は生きた人間を取り込むと、赤水郷の中に留めるため、取り込んだ人間に関係する人物の夢を見せる。儂の場合は妻、青頴殿は兄上の夢だったね。そして、この夢は楊玉公主に関連した夢だろう」
「妾の?」
「うん。だけど、公主様だけに連関する夢とは言い切れない。よく考えてみなよ。赤水郷は洸源池に現れた。なぜ今、赤水郷は洸源池に現れたのか・・・。何らかの要因によって洸源池に赤水郷を呼び込む結果となったと考えるとすれば、それは何か・・・・とね」
「まさか・・・・・」
青頴は何か気付いたようで、困惑する楊玉を見下ろした。確か紅凛が今年の洸源の宴についてこう言っていたはずだ。
今年は『一味違ったものだった』と・・・・。そして、その理由は―――
「公主か!?」
「おそらくね。廷が滅亡してから始めて、廷王家の血筋である人間がこの地に足を踏み入れた。それが、赤水郷を呼び寄せる契機となったと儂はみている。そして、この廷滅亡の再現であるこの夢を見ている公主様と縁のある人物は、赤水郷が洸源池に現れた理由と関係があるのだろうね」
「しかし、妾には廷滅亡に立ち会った故人に、知人はいないはずじゃ」
多くの犠牲を出した赤水郷を招いたのが自分であると知った楊玉は、今にも泣きそうな顔である。青頴は励ますように、楊玉の背を摩ってやりながら、興光に目で問う。
「そのとおり。何せ、公主様はこの時代、影も形もないのだから、そう思うのは無理もない。だけど、赤水郷の中から脱出する糸口と公主様は某か繋がりがあると儂は思っている」
薄く目を開いた興光は、楼閣とは逆にある洸源池の奥に視線をやった。そこは、赤水郷が現れた場所の近くだ――――。
「誰かいるのか!!」
誰何する声が飛んでくる。木々の隙間から松明の炎がちらついた。一つや二つではない。
「まずい、話声が聞えたか」
「こっちだ」
興光が、視界の悪い木々の中に身を隠し、青頴と公主も後に続く。そこから赤水郷が現れた場所に向かって走り出した。

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